こくほ随想

政策と法治

「定額給付金」が経済と政治(政局)の波に翻弄されているが、どのような航路を辿ってこの舟が港に着くか、年末の政府予算編成や年明けからの補正予算の国会審議の過程で明らかになっていくと思われるが、現時点における疑問、あるいは論点は次の二つに集約されるように思う。

論点の一つは「政策の目的」であり、論点のもう一つは「政策の道具立て」である。簡略化して「政策目的」と「政策手段」と言っても良い。そしてこの二つは、実は「政策」というものの二本柱、二つの背骨なのである。

第一の「政策目的」。一般的な経済対策、地域消費の刺激なのか、低所得者(あるいは高所得者の除外)対策なのか。この二つは政策目的を異にするが、いずれを選択するかは「判断」(あるいは政治決断)であろう。また、この二つの政策目的をある程度「重ね合わせる」こともあり得るが、どのような花を咲かせようとするか(政策目的)によって、「種や土壌や肥料や水」(政策手段)が選ばれるように、政策目的が明確であればあるほど、手段の「合理的な選択」が容易になる。

第二の「政策手段」。一定額の現金を「誰に」「いくら」「いつからいつまで」給付するか、その実施主体は「国」「県」「市町村」のいずれであるのか、その費用負担は「国」「県」「市町村」がそれぞれどのように負担するのか、そしてその事務を誰が担うのか。

この二つの論点は、第一の論点が第二の論点に繋がり、第二の論点の「制約」が第一の論点の「政策選択」の幅を決める。先の例を用いれば、手段として得られる「種や土壌や肥料や水」によって、咲かせようとする花の選択肢が少なくなるのと同様である。

ところで国(総務省)から地方公共団体に配られた「定額給付金事業の概要」(読売新聞・2008年11月29日報道)によると、「政策の目的」として二つの目的が並列されており、「実施主体は市町村」(多分、事務の担い手を市町村とすることをも意味するものであろう)、「経費の負担は、国の10分の10の補助」とされている。先の論点に対して―その当否は別として― 回答が一応書かれていることについては評価すべきであろう。しかしながら問題は、ここに書かれていない三つのことである。

第一は国の「財源措置」の仕方であり、第二は「国と地方公共団体との関係」であり、第三に―実はこれが最も重要であるが―この給付金を受け取る一人一人の国民の「権利性」である。政府は、このペーパーの目的が、近い将来に予想される「地方自治体―特に市町村―」に対してお願いする事務を「予め示そう」としたものであるとして、これら三点が書かれていないからといって、批判されるべき筋合いのものではないと説明されるであろう。果たしてそうか。

これらがいずれも「法律で規定すべきと思われるもの」であることは偶然ではあるまい。少なくとも識者は―マスコミを含めて―このことを指摘すべきではあるまいか。

私の理解では、我が国の「民主主義の掟」で大切なものが二つあり、一つが「国権の最高機関としての国会」であり、一つが「法治主義」である。現在の「捩じれ国会」や「政局」の論議が前者から生まれていることは言うを俟たないが、今回の「定額給付金」の論議の中で、後者の論議が殆ど行われていないことを悲しむ。補足すれば、先の「書かれていない三点」は、第一のものは「国の会計原則の法律主義」、第二のものは「国・自治体関係の法律主義」、第三のものは「国民の権利・義務の法律主義」に関連している。

「政局」の中で私たちは大切なものを失いつつあるのではなかろうか。そして「法治主義」こそが、「金銭」とともに、否「金銭以上に」、私たちが携わっている社会保障制度の「基盤」であることを改めて肝に銘じたいと思う。私たちは「お金」で買えないものをも大切にしていく必要があるのではなかろうか。

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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