こくほ随想

地方再生
―地域の自立について考える(下)

一昨年の春、フランスの田舎町で1週間ほど過ごす機会があった。町の中心にはそれほど有名ではないがロワールの城巡りマップには載っている城があり、駐車場や観光案内所など旅行者向けのインフラはきっちり整備されていたが、町自体は人口せいぜい2万、目抜き通りを車で走ったらものの5分くらいで通り過ぎてしまうような町だった。

とても「観光で食べている」という感じの町ではなかったのだが、バスはちゃんと電気自動車(ゼロエミッション)になっていたし貸出自転車システムも導入されていて、子供も若者もたくさんいるし、教会の前に広場があって、周りには広大な農地が広がっていて、町全体に活気があって、何よりも「町を流れる時間」が人間の生活感とマッチしていて、みんなとても落ち着いた「自分らしい」生活を楽しんでいた。

フランスの人口は約6,700万、基礎自治体の数は何と36,000以上あるそうである。うち9割は人口2,000人以下。この町の周りにも人口が三桁(の下の方)の本当に小さな町もたくさんあって、それぞれちゃんと自立していて、議会もあるし教会もあって、自治体としてそれなりに機能している。なんでこんなことが可能なのか昔から不思議に思っていて、いまだに謎なのだが、そこに「住民たちの等身大の暮らしを支える空間」があることは事実のようである。

介護保険の担当をしている時に、「日常生活圏域」という概念についてよく議論した。高齢者が日常的に生活している空間、買い物をしたり人にあったり、散歩したりでかけたり、親族や昔からの友人がいる空間、その人にとって馴染みのある空間、というのがその人の自立やアイデンティティにとってとても大事で、それを守ること、そこから人を切り離さないことが在宅介護・地域福祉の基本、ということなのだが、このことは地方再生―まちづくり―の議論にも通じるのではないか、とずっと思っていた。

この間、地方再生をめぐって様々な議論が行われ、いろいろな政策が打たれてきたが、議論の流れを見ていると、どうしても「人口減少=地方の消滅」という目の前にある危機に目を奪われ、「人口減対策」に力点が置かれてきたように見える。人口が流出して減少している地域では、人口が流出するのは仕事がない、雇用がない、産業がないからだ、だからまずは地方におけるしごと―雇用づくりが大事、ということで、「まち・ひと・しごと創生」が大きな目標になった。

確かに、地域にそこに住む人の生活を支える「雇用」や「産業」がなければ人口が流出するばかりだ、という発想は理解できなくはないが、各自治体は、国の音頭取りもあって競うように「産業づくり」事業に取り組み始めた。中には必ずしも「身の丈」にあっているとは言えない事業に取り組む自治体もあった。

考えてみれば、そもそも人口減の問題は日本全体で起こっている。そんな中で若者の取り合いをしても「ゼロサムゲーム」になるだけ、日本全体の人口減対策にはなりようがない。こんなことで「地域間競争」をしても地方が疲弊するだけではないだろうか。

地方再生は、地方都市を東京のようにすることでもないし、中山間地域の町を県庁所在地のようにすることでもないように思う。「よろずや」と「コンビニ」は似ているようでいて全く違うものだ。持続可能なコミュニティに必要なのは、そこに生きる人たちにとって等身大の町をつくること、等身大の市民生活を支えるインフラを守ることではないだろうか。

少なくとも私が関わってきた医療や介護の世界では、そういう考え方の中から「地域包括ケア」という概念が生まれたのだと思っている。人口100人でも普通の暮らしができているフランスの田舎町の姿を見ていると、そんな気がしてならない。皆さんはどうお考えになるだろうか?


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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