こくほ随想

コロナという「健康危機」

ジャレド・ダイアモンドのベストセラー「銃・病原菌・鉄」の中に、「人類の歴史は感染症との戦いの歴史でもある」という記述がある。

古くは14世紀ヨーロッパのペスト。ペストは中央アジア起源の感染症とされ、東西交易ルートによってヨーロッパに持ち込まれた。致死率は90%、当時の世界人口(4億5000万人)の22%、約1億人が死亡した。

直近のパンデミックは1918年~1920年に大流行した「スペイン風邪」である。今日ではこれはインフルエンザであったことが確認されているが、電子顕微鏡のない当時、人類は病原体を発見することができず、有効な治療法のないまま、当時の世界人口約17億人のうち5億人が感染し、死者は1500-5000万人と推計されている。

感染症との戦いで人間ができることは、実は今も昔も変わらない。感染症の特性によって違いはあっても、いつの時代も基本的にやること、やれることは同じである。「罹患者の隔離」、「感染経路の遮断」、そして「治療薬」である。

長い間人類はこの3番目の対策なしで戦ってきた。現代になってようやく人類は「科学と医療」という武器を手に感染症と戦えるようになったのである。かつて国民病であった結核に日本人が勝利したのはBCGワクチンのおかげであり、予防接種の普及で我々は多くの伝染病から身を守ることができるようになったのである。

Covid-19禍から見えてきたことはたくさんある。そもそも感染症(伝染病)対策の本質は「社会防衛」である。感染症法の体系は基本的に「危機体系」であり、感染症による程度の差はあれ、感染症医療は平時の医療体系とは別の体系で動く。感染症対策はそれ自体予防から治療までの一貫した体系であり、指定感染症に罹患した患者は全て保健所(公衆衛生施策)の管理下に入り、全ての感染情報は保健所に集約され、必要に応じて罹患者の隔離・治療が行われる(感染症サーベイランス・感染症専用病床への隔離入院・公費による治療)。つまり患者は通常診療(=保険診療)から切り離されることになる。

平時において一般の病院・診療所は感染症対策の体系に組み込まれていないし、医療機関の意識の上でも感染症は別体系の医療である。法制上も一般の医療機関に感染症対応を「強制」するスキームはない。

通常の、というか平時の感染症対応であれば、これで対応できる。しかしながら、今回のようなパンデミックが起こったら、このシステムはその負荷に耐えられない。平時において感染症対策(予防も含め)に割かれている医療リソースは限定的であり、国民皆保険制度の下、医療は一義的には一般診療(保険診療)で対応されている。そんな中で、今回のような感染爆発による医療ニーズの急増に対して、通常医療とは別体系の感染症体系だけで対応することは不可能である。

パンデミック=健康危機=危機管理という観点からすれば、使える医療リソースは(パンデミックのステージに応じて)機動的・集中的に動員・投入しないといけない。その意味ではパンデミックは大規模災害、「有事」である。しかも非常事態が長期かつ広範囲、繰り返し続いていつ終わるかわからない災害である。

阪神淡路大震災を教訓に、日本の医療界はDMATという災害時医療派遣システムを作った。パンデミックになったといって医療リソースが急に増えるわけでもどこからか湧いて出てくるわけでもない。私たちは今あるリソースで戦うしかない。

今、病院から溢れる在宅の感染者を支えるために多くの在宅医達が地域でコロナと戦っている。ぜひ全ての医療機関、医療に関わる人が団結・協力して戦線に参加し、この危機に立ち向かってくれることを切に望む。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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