こくほ随想

日本の医療保障制度が抱える課題と今後のあり方 その1
~保険制度成立前の世界の概観~

釈迦が太子だった頃に王城の四門から外出し、東門で老人に、南門で病人に会う。そして、西門を出たときには死者の葬列に遭遇したことで人生の無常の姿をみることとなった。さらに北門を出たときに出家者 (沙門) の堂々たる姿をみることで、そこに自分の進むべき道を見出したとされる。これは、「四門遊観」という釈迦の出家の理由を示すとされる伝説である。

さて、現代日本に生きる我々は、釈迦出家の理由となった老いや病、死に対応するために国家による公的医療保障制度や民間の生命保険制度といった多様な制度によって、悟りに至らずとも、必ず迎える老いや病や死に対するリスクを管理してきた。

このうち、老いや病については、日本では国民皆保険制度が成立している。また、国民の多くは、さらに民間の保険に加入することで、老いや病、死に対するリスクを分散してきた。これにより、人々は保険料という新たな負担をすることだけで釈迦が行った苦しい修行をせずとも、それなりに安寧な生活を送れるようになった。

だが、今、日本は、この皆保険制度の運営に際して、大きな困難に直面しており、これを継続するために、さまざまな改革をすすめようとしている。本連載では、今、日本が抱えている医療、介護保障制度を取り巻く課題と、この課題を解決するために考えられてきた「地域包括ケアシステムとは何か」について、取り上げることとしたい。

今回は保険制度成立前の世界を概観し、人々が、毎日の生活を安寧に過ごすために、どのような仕組みを創り上げてきたかについて考えてみたい。

日本では、現在の国家による保険制度の成立前にも海運事故への対応を目的とした廻船問屋や船主らによる海上保険的な仕組みが古くから存在していた。この海上保険制度については次回以降に後述するが、この他にも庶民の暮らしの中には、無尽や頼母子講、模合と呼ばれる会、いわゆる互助組織が存在してきたし、これは今もあり続けている。

例えば、無尽や講、模合と呼ばれる互助組織は全国のあらゆる地域に広く普及しており、この組織のメンバーは定期的、あるいは不定期にお金を出し合い、積み立てられたお金で宴会や旅行を催したりするといったハレに関しての互助や、メンバー本人あるいはその身内に不幸があった場合は葬儀を業者に頼らず、預金講仲間が取り仕切ることを常識とするケについての互助が行われてきた。この他にも、積み立てられたお金を、この互助メンバーの中でくじに当たった者が積み立てた総額を総取りするという、投機的な形態のものもあり、その在り方は時代によって、その土地柄によっても異なっていた。

鎌倉時代に始まったとされる、このような庶民同士の融資制度は、冠婚葬祭など、まとまった金額を要する際に、お互いに助け合う仕組みであったが、一定の頻度で集会が開催されること、金銭の授受が発生することから、メンバー間の信頼を基礎とした組織となっている。今も継続している組織をみると、その多くは実質的な目的よりも職場や友人、地縁的な付き合いの延長としての色彩が強いようである。

なお、日本の無尽や頼母子講に相当する仕組みは、東アジアにも存在しており、韓国では仲間内で契(ケイ)(ko:계(조직))という仕組みがあるという。台湾でも互助会と呼称される、同様の仕組みがあり、このような類似の仕組みは世界に多く存在する。

このように人々は、多様な互助組織に所属しながら、日々の生活を守ってきたのである。

さて、今日の社会保険の原型とされる制度は19世紀後半の平均寿命がわずか40歳であったドイツで創られたものである。平均寿命80歳を超えたわが国に相応しい新たな保険の仕組みが今、まさに求められている。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

←前のページへ戻る Page Top▲