こくほ随想
第7回
私の趣味の変遷
私が係長の頃の上司に多趣味の人がいた。読書家で、勝負事が好きで、体を動かすことも嫌いではなかった。どんな話題でも、自分の体験談を織り交ぜながら話をされる。多趣味はとても魅力的なことと思えた。
若い無趣味な私は多趣味を良いことと思った。いろいろな人に誘われるままに、何でもやってみた。囲碁、麻雀、コントラクトブリッジ(トランプのゲーム)、ゴルフ、テニス、登山(ハイキング)、渓流釣り。酒を飲んで駄弁ることもよくあった。
あるとき、論語を読んでいたら、こんな一節があった。ある国の宰相が「先生は聖者か。とても多能である」と言われた。それを聞いて、孔子は「私は若い頃貧乏だったので、いろいろなつまらないことに才能を持っている。君子は多能である必要はない」と述べている。そうか! 君子と言われるような人は何でもやれること(≒多趣味)を恥じるのか。
論語の中には、君子を話題にした箇所がたくさんある。例えば、「君子は義以て質と為し、礼以て之れを行い、孫以て之れを出だし、信以て之れを成す」(君子は正義を内部の本質とし、それを礼によって行動し、謙遜によって表現し、信義によって完成する)(『論語』吉川幸次郎より)。これを読んで、行政官である自分にとって大事なことは、正しいことをきちんとやり遂げることであって、趣味などに時間を割くのはあるべき姿ではないと思い直した。
課長になりたての頃だったので、入省時の「青雲の志」に立ち返り、任務遂行に全精力を注いだ。課長時代は1、2年で担当部局が変わり、常に法律改正等の重要案件を抱えていた。年金、薬事、医療保険等の制度改正に取り組み、介護保険法案を成立させるなど、仕事一筋に打ち込んだ。二度目の総理官邸勤務(首席内閣参事官。橋本内閣、小渕内閣、森内閣)のときに、月一ゴルフも返上した。首席内閣参事官になると、日本のどこで異変が起こった場合でも30分以内に閣議を行えるように備える必要があり、任務上当然のことであった。
官邸勤務は忙しく、土日のいずれかは出勤していた。その後、2001年の中央省庁再編で新設された内閣府の大臣官房長に異動し、その後、事務次官を務めた。新設官庁であるために予期せぬ案件が次々と起こって、引き続き忙しい毎日であった。膨大な相談案件と様々な書類に囲まれて、精神が枯渇していく感じがした。このままでは人間力が失われていくと思い、あれこれ考えた末「俳句」という新しい趣味を持つことにした。
中原道夫先生の句会に月1回(土曜日)参加した。誰も私を知らないので、匿名空間を楽しみながら、恥をかきつつ句作をした。季節の移り変わりに心を留める、樹の名や草の名を知るようになる。砂地に水が染み込むように、渇いた心を俳句が潤した。句会への参加は良い選択だったと思っている。
俳句の世界にもビギナーズラックがあった。俳句結社『銀化』創設5周年を記念しての俳句大会で、私の句「秋の書架亡父(ちち)の背中を見つけたり」が特選に選ばれた。私の父が亡くなって、新盆のときに、父の部屋の本棚を見ながら浮かんだ句である。中原先生の御尊父も同じ頃に亡くなられて、それも選に影響したのではないかと思っている。
内閣府を退官し、翌年、民間のシンクタンクに勤めた。社長からゴルフに誘われて、ゴルフセットを買った。秋からコースに出る予定でいたが、8月末に年金記録問題等で大変な状況にあった厚生労働省の事務次官に任命され、道具はお蔵入りになった。人事院総裁を辞めた後、友人に無理矢理誘われて、70歳近くになってゴルフを再開した。いろいろな人と会う機会が増え、たくさん歩くので健康にも良い。日頃の体力強化にも熱が入る。仕事を退いたら、無理のない範囲で趣味を広げることは悪くないと思うこの頃である。
記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉