こくほ随想
第5回
英知を集める
世の中は進歩・発展して、生活は豊かになっているはずなのに、国際的にも国内的にも様々な課題が増大・深刻化していて、我が国が幸福な方向に進んでいるという明るい確信が持てない。なぜだろうか。私は、直面している様々な課題に対して、国民の英知を結集して総合的に対応を考えることができていないからではないかと思っている。
先例として思い浮かべるのは、大平正芳総理大臣の「田園都市構想」を肉付けした9つの政策研究会の取りまとめや、土光敏夫経団連名誉会長を会長とする臨時行政調査会の提言である。
田園都市構想は、その言葉だけでは内容をつかみにくい。今でもよく覚えているのだが、NHKの『総理に聞く』という番組で、司会者の質問に対し、大平総理はこう答えた。「田園都市構想は北斗七星のようなもの。昔、船乗りは、夜、北斗七星から北極星を探し、その高さや方向から自分の船の位置を知り、帰る方向を探し出した。田園都市構想は、各地方自治体にとって道標みたいなもの。田園都市構想という道標を参考としながら、各自治体がその地方の良さを生かして独自に地域づくりを進めていく」。とても博識で、謙虚さと強い信念をお持ちの総理だと思った。
この構想をまとめるために、学者、文化人、経済人、若手官僚、合わせて200人以上の人材を集めて、正に日本の英知を結集するような形で、9つの政策研究会で多角的に構想を煮詰めた。残念ながら、報告書がまとまる前に大平総理は急逝されてしまったが、その報告書の内容はその後の国家運営に影響を与えている。
土光臨調は、「増税なき財政再建」、「活力ある福祉社会の建設」を掲げて、90人を超える有識者を集めて、全省庁の出向者からなる事務局を置いて、信念を貫き通す土光会長の下で、2年間にわたって5つの答申をまとめ、行財政改革を提言した。中曽根康弘総理大臣の下で、国鉄をはじめとする三公社の民営化、様々な制度改革(医療保険制度、年金制度の改革も含む)などが実現した。
この二つの改革を見て思うのは、いずれも国家を挙げて、国民の英知を結集していることである。多様な人材が議論を尽くして、最善の解を求めている。
中央省庁再編は、霞ヶ関の大きな改革であった。総理大臣のリーダーシップを支える体制を強化するため内閣府が新設された。経済財政諮問会議などの場で総理大臣の面前で重要政策が議論され、総理大臣は多様な意見を踏まえつつ決断をすることができるようになった。大きな改善点である。
ただ、政府部内に長期計画を議論する場がなくなったことは大きな問題だと思っている。かつて、経済企画庁や国土庁が事務局となって長期計画を策定していた。数年も経つと計画と実際とに乖離が生じ、計画策定にどういう意味があるのか、私も疑問に思っていたことがある。しかし、計画策定の議論を通じて、多くのオピニオンリーダーが我が国の基礎データを共有する、そのことの意味が大きいのである。現状についての基礎認識を共有していれば、意見は異なっても、議論は噛み合うのである。
国政は常に多事多難であり、課題は年々大きくなっている。素早く対応していくために官邸主導が強調され、内閣官房や内閣府に、課題ごとに体制が設けられている。そこに各省庁の職員が出向して、対応している。
課題ごとの検討・対応も大事ではあるが、私は、日本の課題を一括して捉えて総合的に対策を進めていくような、日本の英知を結集した総合政策ビジョンが必要なのではないかと思う。その策定の場を通じて、我が国のオピニオンリーダーたちが共通の基礎認識を持ち、建設的で多様な意見を出し合う。そのような場を作り、謙虚に英知を集めることを工夫していただきたいものである。
記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉