こくほ随想
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行政と議会国会が始まっている。思えば私もずいぶん沢山、大臣や局長の国会答弁のためのメモを作り、自分が局長になった時は答弁もし、あるいは国会での審議に向けて議員の先生方やそのスタッフの方々への説明をしてきた。今回はそうしたことを振り返りながら、行政当局が議会に対してどう行動したらよいのか、という視点でいくつか考えてみたい。 議会における議論の多くが行政当局に対する質問で、議員同士の議論が少なすぎる、ということが言われたりする。しかし私はこれは仕方ないことではないかと思う。議案の多くは行政当局からの提案で、その当否を審議するためには提案された内容と考え方を質さなくてはならないし、これまでの運用実績などについても確認しなければならない。議員同士の議論はむしろ、議員提案の法律案などについて、議案として出てくる前に、つまり議場の外で実はかなり積み重ねられているといったことが多いように思う。議場は公開の言わば見せ場であり、これもある程度やむを得ないことではないかと感じる。 その、議場が見せ場だということが、行政当局に対する質問が厳しい調子になるということにもつながっているように思う。しかし、行政としては制度を一定の考え方に沿って運用しているだけなのだから、その制度の内容と考え方、そして改正案を提案しているならばその必要性を、誠実に答弁するほかない。気圧される必要は全くない。 時には、運用の誤りを指摘されることがあるかもしれない。そうしたときには認めるべきを認めて、どう改善するかをこれまた誠実に答弁するほかない。多くの場合、誤りそのものに加え、誤りを自ら発見できなかった構造や組織の在り方が問題となるので、それをどう改善し、今後はきちんと運用できるようにするかを議会に、ひいては世の中に、答えることが大切になってくる。 そう、議員に答えることは世の中に答えることであり、だからきちんと答えるよう努力しなければならないと同時に、理由があって公表できないことは、誰から言われても答えられないのである。そういうときには、なぜ答えることができないかを、わかっていただけるように丁寧に説明していくということが仕事である。 答弁作りで残業が多くなっているということがよく指摘される。質問通告がぎりぎりになって作業に入れないということは是非改善されるべきだと思うが、実は作業をする役所の側でも、質問を受けて考えを整理するのに時間がかかってしまうということがあるものだ。普段から一つひとつの制度の考え方を整理し、組織として統一された説明と運用をしておくこと。これができていないと土壇場での答弁作りに時間がかかることになってしまう。この点は、行政に携わるそれぞれの組織として日頃から振り返っておく必要があるのではないだろうか。 更に言えば、答弁用のメモを作るのに時間をかけることよりも、それが議場できちんと伝わることの方が大切だと思う。いわゆる役人答弁という印象を与えるものは、用意したものをその場の議論の流れと関係なくそのまま答弁することから生じることが多いように思えてならない。議論の流れの中でどのように答えるか、議場では、その点に関して答弁に当たる者の胆力も試されているように思うのである。 議会での質問対応は、言われるほど負担なことばかりではないように私は思っている。新しい切り口で質問を受け、説明を、あるいはそうした場合についての運用の仕方を考えながら、そして時には参ったなとも感じながら、私の場合、これは生産的な作業であるなあと感じることもままあった。こうしたことは、国よりも住民に近い自治体行政でより多いのではないかという気がするが、どんなものだろうか。 記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉
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