こくほ随想

干支の効用

お正月を迎え、「一言挨拶を」などと突然振られたりしたときには、今年はウサギ年で飛躍の年と言われております、なんてことを喋ったりする。そうしておけば無難だし何とか格好がつくというものだが、しかしそもそも本当にウサギ年は飛躍の年ということになるのだろうか、と思って、試しに12年前のことを改めて思い返してみた。

12年前はすなわち2011年、東日本大震災の年である。その年のお正月には、そんなことが起こるとは夢にも思っていなかった。当時、私は発足して2年目の日本年金機構に出向しており、新しい組織の人事制度を作り上げる、まさに飛躍の年にしなければならないと考えていた。けれど、地震が起き、震災対応のため3月には厚生労働省に戻されることになってしまった。

私のことはともかく、この年に国会に提出された法案を見ると、まず国民年金法改正案がある。国民年金の国庫負担は2009年に給付の2分の1となったものの、その財源については当時は年度ごとに手当てをしていた。消費税率がまだ5パーセントだった時代である。それから、介護保険法改正案。ここで、「地域包括ケア」という考え方が法律上現れてくることになった。「予防給付と生活支援サービスの総合的実施」といった改正項目を含めて、現在では当たり前のように各地域で行われていることが、この法案資料の中で新しい事項として取り上げられていることが懐かしい。また、子ども手当の支給等に関する特別措置法案というのもあり、手当の名前から、その頃は民主党政権だったということが改めて思い出される。

しかしこうして振り返って感じるのは、12年前というのはすごく昔だなということだ。東日本大震災については、その後東北の復興、福島の復興、原発の在り方、といったテーマが繰り返し議論され、マスコミにも取り上げられているせいか、今に続く最近の出来事という感覚とともにある。けれども、社会保障に関するトピックをこうして振り返ってみると、文字通り時代を感じざるを得ないのである。

これはどうしてだろうか?社会保障をめぐる世の中の変化(人口構造の変化や家族構成の変化などその代表だろう)がとても速いということ、それとともに、曲がりなりにもそうした変化への制度的な対応が行われてきたということ、そしてそのいくつかは、いわば手探りのようにして導入され、その結果として短い期間にその使命を終えたものもあるということ。こうしたことが、当時の議論に時代を感じるということの理由としてあるように思う。

そう、社会保障制度に関わる社会状況は、同時代的にわれわれが感じているよりもおそらく速く大きく、かつ絶え間なく変化しているのだ。政策担当者は中長期的な行く末を見据えつつ、それに対応しようとして様々な手を打ってきたはずだ。しかし残念ながら、これでもう大丈夫、という手は打てておらず、一つ一つの措置の有効期限は必ずしも長くなかったというのが、振り返って感じられることなのである。

しかし、我が国の人口構造の変化だけとってみても、それが世界的にも未曽有のものである以上、こうしたことはある意味当然のことだ。大切なことはむしろ、こうした経験を少しでも活かして、より根本的で安定的な対策を打っていけるようにするということだろう。医療保険や介護保険においては2~3年ごとに制度改正が検討され、年金においては5年に1度、財政検証が行われて、それを踏まえた見直しが行われるのが通例となっている。しかし、より長い期間で振り返りを行って将来を見定めることも有効ではないか、そのためには干支の12年というのも一つの節目と言えるかもしれない。そんなことを考えた今年のお正月であった。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

←前のページへ戻る Page Top▲