こくほ随想

任務を知ることについて

日本年金機構に勤めるようになって、改めて人事と人事評価というものの大切さを感じている。機構は全国に312の年金事務所と15の事務センターを持つ組織であり、約1万1千人の正規職員だけでも、出自を見ればもと県庁採用の公務員出身者、旧社会保険庁本庁採用の公務員出身者、民間企業出身者、機構発足以降の採用者から構成されており、更に有期雇用と無期雇用の非正規職員も合わせて、正規職員とほぼ同数働いている。こうした職員にそれぞれの力を発揮してもらい、同時に本部の経営方針を徹底するためには、人事の公平公正が極めて重要なのである。

しかも、年金機構では、経営方針に基づく業務目標の達成度合いというものが、保険料の納付率にしても、事務処理に要した期間にしても、数値で出る。それだけに、年金機構では基準の設定の仕方や具体的な評価の方法について、評価する側も、厳しく問われているように日々感じざるを得ない。信賞必罰、と言うのはたやすいが、これはなかなか容易なことではなくて、評価をする側の見識と覚悟も、職員の前に試されている。

同じく全国組織であるとは言っても、率直に言って厚生労働省ではそれほどではなかった。厚生労働省でも数万人の職員が働いているが、特に職員数の多い現業部門(労働局や検疫所など)の人事は基本的にそれぞれの部門で行っており、本省の次官や官房長が人事を行うのは専ら本省の職員についてに過ぎない。また厚生労働省の職員は原則全員が公務員であり、それなりに同種の経歴と一体感を持っている。評価の基準という点でも、行政官としての能力というものは数値化が難しく、逆に言えば反論にさらされにくい。

そもそも、あらゆる組織はそのパフォーマンスを世に問われている訳だが、公的組織はパフォーマンスが収益という形で出ないために、何を目標とし、何をもってその達成度を評価するか、ということ自体が、経営陣の力量を示すひとつの指標と言えそうである。その力量とは結局、組織の任務が何であるかをいかに的確に把握するかということにかかってくる。

さて、それでは、国保の保険者の任務というものは何だろうか。

年金機構と同じく、国保の保険者も実務の組織であるから、保険料を被保険者ごとに正確に算定し、徴収し、医療費を正しく給付することが必要である。その際、(釈迦に説法で恐縮だが)保険料を払ってくれない層にどう働きかけるかや、給付の方ではレセプトをいかに効果的にチェックして無駄な給付を防ぐかというところが、言わば腕の見せ所となるだろう。何と言っても正確で公正な制度の運用が、住民の生活の安心と安定を目的とする国保制度の基礎となる。

年金と違うのは、受診率を下げること、あるいは提供される医療の内容を効率化することによって給付の抑制を図ることができるという点だ。受診率を下げることは住民の健康度を上げることであるので、その意味でも住民生活の安心・安定という制度の本旨にかなう。一方こうしたことについては、健康づくり、医療や薬事の提供体制、介護予防など、都道府県との調整を含めて、行政機構内部での横の連携が不可欠となってくる。また、地域の状況によって取り組むべき内容も違い、それが取り組みがいというものでもあるだろう。

こうしたことは既に多くの自治体で実施されていることだと思う。しかし、それぞれの取り組みについて、目的と手段を明らかにし、具体的な目標を立て、達成度合いを評価すること、そしてそれを継続すること、そうしたことが、任務をきちんと把握しているということなのではないかと思うのである。保険者の見識と覚悟が、住民の前に試されている。そうした認識が、具体的な効果を導くのではないだろうか。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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