こくほ随想

変わるもの・変わらないもの

今回は年金のことを書きたい。ただし、一つの題材としてなので、年金制度の解説をしようというのではありません。

4月にも書いたとおり、10月1日から、短時間労働者の厚生年金への加入が拡大された。パート労働者も週20時間以上であれば厚生年金に加入することとなるので、老後の保障は厚くなる。これまで国民年金の保険料を払ってきた人たちにとってはまず文句なく改善ということになるが、しかし一方で、これまで被扶養配偶者として保険料負担なしに基礎年金がもらえることとなっていた人たちにとっては、これは、新たに保険料を負担するようになるということを意味する。もちろん保険料は給与天引きであって負担感はさほど生じないと思われるし、事業主負担もあり、老後の保障が充実するので、全体的に見れば良いことになるはずであるが、負担増について懸念する議論や、あるいはこれまで実際、被扶養の基準を超えて保険料負担(これまでは国民年金の保険料だが)が生じないように働き方を調整する配偶者が存在したのも事実である。

そもそも、保険料負担なしに給付が受けられるという第3号被保険者(被扶養配偶者)の制度は、保険の原則からすれば不思議な制度であるともいえる。全国民をカバーする基礎年金の仕組みが導入された昭和60年の改正の際に、自己の収入がない被扶養配偶者をどのようにして被保険者とするか、という問題に対する工夫の産物として生まれたものだ。そして当時、公務員になったばかりの私も参加したあちこちの説明会の場で、これが「女性の年金権の確立」として歓迎されたことを思い出す。その頃は「夫は仕事・妻は家庭」という形が大多数であったし、一生を家庭で過ごしてきた妻も老後は自分の名前で年金がもらえるということが、女性の権利の正当な評価につながると考えられたのである。

しかし、今では共働きの夫婦が過半数を超え、この第3号被保険者の制度は女性の就労を妨げる作用を持っているのではないかと懸念されるようになった。今も収入のない者が存在し、それを被保険者として位置づける必要がある以上、この制度が直ちになくなることにはならないと思うが、厚生年金の適用のほうを拡大するという形で今回、従来の被扶養配偶者の一定部分が保険料を負担する被保険者に移ることとなり、そしてこれが、労働に中立的な制度とするものだと説明されている。今では、第3号被保険者の制度は女性の権利の正当な評価につながるものだ、といったところで首をひねられるのがオチではないかという気がする。

一体、何が変わったのだろうか。そして、変化に対処する方法を決めるもの、制度を貫く変わらない考え方とは何なのだろうか。

私の考えを言えば、この問題に関して、変わらぬ考え方は「公平」なのだと思う。変わってきたのは、女性の(だけではないが)働き方が多様化し、それをきちんと評価することこそが公平なのだと一般に考えられるようになってきたこと、また、給付対象を広くすることが公平だという考え方から、きちんと負担をすることを含めて考えるべきだとなってきたこと、いわば、給付から負担へ重点が移ってきたこと、であるように思う。言い換えれば、女性の権利を正当に評価すべきことは全く変わらないけれど、何が正当な評価であるかの視点が変わってきたのである。その背景として社会・経済情勢や雇用情勢の変化があるのはいうまでもない。

難しいのは、制度の在り方を構想する際、現在の社会・経済や雇用だけでなく将来の状況を見通しておかなければならないということだ。そして特に社会保障政策における指標は、しばしば人々の価値観に関わるものであり、数値化して将来を推計することが難しいということだ。ことは年金制度にとどまらない。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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