こくほ随想

小集団主義の今日的意味

先日、私の勤務している日本年金機構の「拠点長会議」があった。全国312か所の年金事務所と15か所の事務センターの長が一堂に会する会議である。過去2年間は新型コロナウイルス感染症のために行わなかったので、久しぶりの会合だ。今年度の事業実施について統一的な取組方針が話し合われた。昨年度の業績優秀拠点長の表彰も行われた。

年金制度は保険の仕組みであるので、大きな集団で実施するほど安定するという考え方の下、国が保険者となって原則20歳から60歳までの全国民が加入する仕組みになっている。一方、医療保険制度は同じ保険であるのに、基本は市町村国保や健保組合などの小集団主義である。この違いはどこから来るのか。デジタルトランスフォーメーションの時代になっても小集団で運営するメリットはどこにあるのだろうか。今日はこのことを考えてみたい。

ごく大まかに歴史を振り返ってみよう。そもそも健康保険制度は企業の共済事業を公的に取り込む形で作られ、企業ごとの健康保険組合が言わばリーダーの役割を果たしていたと言える。1960年代、国民皆保険実現の際に、国保の保険者は従来からあった一部国保組合を除き市町村とされたが、80年代に入ると老人保健制度や退職者医療などのリスク構造調整の仕組みが導入され、老人保健制度はそののち後期高齢者医療制度として独立した制度となった。さらには国保の財政単位の都道府県化が図られ、国保に関して言えば財政単位を大規模化して財政を安定させることに制度改正の努力が続けられてきたことが分かる。一方、被用者保険の側では、主に中小企業の従業員を対象とする協会けんぽにおいて、財政単位を全国から都道府県に分けて保険料率を設定するようになってきた。

年金制度では、例えば老齢年金は給付の条件が年齢で基本的には全国民一律に決まり、かつ、現金給付で給付水準も全国同じ計算方式であるのに対して、医療保険は現物給付の制度であり、地域ごとの健康度や受診行動、医療提供体制の違いなどによって給付の発生頻度や内容が変わってくる。したがって全国一律の保険料では不公平だという声が出てくる。これが医療保険を小集団で「やらざるを得ない」背景だ。

しかし同時に、集団の健康度や受診行動によって給付の発生頻度や内容が変わるということは、努力によって給付を抑制できるということを意味する。集団間の競争が働けば更に全体として給付、ひいては負担が抑制されることも期待できる。これは小集団のメリットである。「保険者機能の発揮が求められる」と言われるときの保険者機能とは、こうした努力のことを意味しているだろう。

こう考えてみると、医療保険における小集団主義というのは主に医療保険制度が現物給付の仕組みであることから来るものであり、望ましい集団とは、保険として成り立ち得る一定の大きさを持つというだけでなく、医療を受けるための基本的な条件が同質で、かつ、健康度を高めるための努力が徹底できる性質と規模を持った集団だ、ということであることが分かる。

被用者の集団においては、近年「健康経営」ということがよく言われる。これは、我が国の置かれた高齢化と人口減少という環境の中で、従業員の健康度を高め医療費負担を抑制することが、経営者レベルの関心事となってきていることを意味する。国保においても、高齢化と人口減少が進む中、地域の活力を維持し負担を最小化していかなければならないという事情は同じではないだろうか。置かれた環境はさまざまであるとしても、そのためにどのような集団でどのような努力を行うことが最も効果的であるかという観点から、改めて、市町村も都道府県も、それぞれの自治体としての国保運営の在り方を考えてみることが有益ではないかと思う。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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