こくほ随想

医療保険制度は誰のためにあるか

短時間労働者への健康保険・厚生年金の適用が進む。今年10月からは従業員100人以上の企業についても週20時間以上の労働者を適用とする(これまでは500人以上の企業)などの改正が施行されることとなっている。このことを先日ある講演の場で話した際、「それは国保を弱体化させることになるのではないか」との質問が出た。パート労働者などの短時間労働者は国保被保険者のなかでは相対的に見れば若くて経済的に安定した層に属し、それを社会保険に持っていくというのは国保の側が財政的に厳しくなることにつながるのではないか、という懸念である。

しかし短時間労働者は、国保に入っている人ばかりではない。むしろ健康保険・厚生年金の被扶養者になっている人も多い。そうした人たちを含めて、どのような給付や保険料負担の仕組みを持った保険制度の対象とすることがふさわしいのかという視点から、まず、適用範囲の問題は考えていかなければならない。夫が働き妻は家を守るというモデルが過去のものとなり、就労形態が多様化する中で、勤務や生活の実態が被用者のものであるならば、それにふさわしい給付があり、保険料に事業主負担もある被用者としての制度を適用するのが本筋だということにならざるを得ない。ご指摘は分かるが、医療保険の制度はまずは被保険者のためにあるのであって保険者のためにあるのではないということは理解していただかなくてはならないという趣旨のことを、もう少し整理の荒っぽい言い方だったけれど、そのとき私はお答えした。

なお、そのときは持ち合わせていなかったが、制度改正が検討されていた当時の医療保険部会の資料によれば、短時間労働者の被用者保険への適用により、国保サイドの財政も実はわずかに改善するとされている。国保の側でも収入のない被扶養者が一定程度脱退すること、対象となる人の収入と国保被保険者全体の平均収入との関係などからそう推計されるということであり、要すれば、これまで様々な手立てが取られてきた国保の財政対策の中で受け止められるような構造にはなっているということだ。

私は厚生労働省を昨年秋に退き、今年から日本年金機構に勤務している。制度を企画する立場から保険者として実務を運用する立場に移ったことになるが、そこで改めて感じるのは、運用できない制度は絵に描いた餅にすぎないということだ。制度の趣旨を具体的な効果ある形にするためには、制度の立て方から日々の運用方法に至るまで様々な整理や工夫が必要で、その後者のことがともすれば軽視されすぎてきたことがなかったかとも、これまでの自らの公務員生活を振り返って反省する。

最初の問題に戻ると、この問題は薬の作用と副作用の関係と似ていると思う。被保険者の給付や負担に関して保険者の運営に生ずる問題は「副作用」ということになるかも知れないが、だからといって軽視してよいということにはならない。薬は効いたが患者は死んだ、のでは元も子もない。しかし、同時に、保険者の安定的な運営の確保も、もともと制度が被保険者のためにしっかり機能するようにするためだということは忘れてはならない。このバランスを取りながら進めることが、難しいけれど大切なのである。

こうしたことを考えながら、今は年金制度の運営を誤りなく進めることができるように日々一つ一つの問題に対処するのが私の仕事である。これまで本欄を担当されてきた歴代の皆さん方に比べれば見識不十分と言わざるを得ないのを恐れているが、かつて制度を企画する側に身を置き、今はそれを実務として運用する側にいる者として、社会保障や医療保険をめぐって皆さん方に何がしかお役に立つことをこれから月に1度、綴っていければと思っている。どうかよろしくお願いします。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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