こくほ随想

保険者の仕事

厚生労働省では、保険者の仕事とは何か、見たり考えたりする機会を多くいただいた。

昭和58年(1983年)の最初の配属は、老人保健法を所管する老人保健部だったが、半年が過ぎ、最初の出張の機会が回って来た。それは、老人医療の事務を担う市町村の監査だった。ここで初めて現物のレセプト(診療報酬請求明細書)を見た。今の人は知らないと思うが、「じゃばら」と呼ばれる何枚もの紙がのりで連結された高額レセプトもあった。

とにかく膨大な紙の量であったが、時間がかかるのが並べ替えの作業だと聞いて驚いた。並べ替えないと経過が分からないし、保険者こそ縦覧点検をすべし、という国の指導のためだ。国の監査が入るので職員総出で整理したそうだ。とにかく現場に圧倒された。

入省8年目の平成2年(1990年)、アメリカに赴任する機会を与えられた。アメリカに行ってみると、病院が請求する金額は保険者ごとに違うし、入院や手術など、いちいち保険者の了解が必要な場合もあるという。請求しても保険者ごとに個々に査定してくるので、病院は常に保険者と言い合いをし、病院も保険者も莫大な事務費用をかけていた。これはダメだ、日本の医療保険は皆が思うよりずっと効率的なのだと思った。ところで、その頃、日本の支払基金の方がアメリカに来たが、聞くと、OCR(光学読み取り機)の導入検討のための視察だという。進歩だが、紙という前提は変わらないのかとも思った。

さて、医療保険者の仕事を直接担当することになるのは、平成16年(2004年)から2年間、当時の政管健保の担当課長になったときだ。このとき、政管健保を廃止して保険運営の新しい公法人を作るという決定がされており、法案化に向け具体案作りが急務だった。この時は、全国1本の医療保険者では大きすぎて保険者機能が発揮できないので、都道府県単位の保険運営にする、という議論だった。保険者機能とは何なのか、深く考えたのはこのときだったが、随分多義的に使われているのだと思った記憶がある。

制度論と別に、保険者としての実務もある。適用・徴収、保険証発行、保健事業など全国約3600万人をカバーする実務の司令塔である。保険証に臓器提供意思表示欄を設け、レセプト開示ルールを作り、健診データとレセプトデータの突合解析で予防効果を実証した。保険者の面白さを感じる機会になった。

その次に保険者の仕事をすることになったのが、国民健康保険課長時代である。全国の市町村、国保組合の事業の制度責任者であり、予算規模も膨大で省内有数の重職である。誠に身の引き締まる思いだった。残念ながら担当したのは1年で、後期高齢者の施行直後の騒然とした時期だった。

私にとって、集大成の仕事となったのが、保険局審議官で国保の都道府県運営法案に取り組んだ時だった。保険者とは何か、保険者の適正な規模は何なのか、保険者がその機能を最も良く発揮するためにはどうしたらいいのか。財源は、財政調整は、保険料決定は、とあらゆる難問が待ち構えていた。この改正は世紀の大改正だと今でも思っているが、長い歴史の国保であるだけに継続性を重視し、あまり大改変と受け止められないよう腐心した。この法案は国会で承認され平成30年度から無事施行されているが、これも関係者の方々の尽力の賜であり厚く感謝申し上げたい。

医療保険の制度設計に携わったのはこの改正が最後になったが、一つ懸案が片付くと別の課題も見えてくる。介護保険との整理だ。保健事業については、先の医療保険制度改革によって一体的実施が盛り込まれ、制度の違いを乗り越える試みが始まっている。これから、より大きな見地で保険者の在り方論があっていいし、次の世代の議論に委ねたい。

さて、保険者の仕事とは、結局何なのか。これは永遠の問いかけとしておいた方が良さそうである。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

←前のページへ戻る Page Top▲