こくほ随想

この半世紀の高齢化のインパクト

2020年の東京オリンピックの開催が決まったが、今年は1964年に東京オリンピックが開催されてから50年である。このオリンピックの開催に合わせて、高速道路が整備され、東京の街は大きく変わったし、開会式の直前に東海道新幹線も開業した。

わが国で老人福祉法が制定されたのは、この東京オリンピックの前年(63年)である。わが国の社会保障の骨格である国民皆保険・皆年金が達成された、わずか2年後だ。筆者は、その10年後の73年に旧厚生省に入省したが、最初に配属されたのが老人福祉課で、公務員として最初に担当した法律である老人福祉法には思い入れが深い。

1960年のわが国の人口は9,015万人であり、1億人に達していない(ちなみに1億人に達したのは70年)。65歳以上の人口は539万人で、高齢化率(総人口に65歳以上人口の占める割合)は5.7%であり、15歳未満の年少人口は2,843万人もいる「若い国」であった。その頃の平均寿命は男65.32歳、女70.19歳である。国民年金の支給開始年齢は65歳であるので、長い年金受給期間は想定されていなかった。

65歳以上の者の子との同居率は79.9%であり、家族との同居が一般的であった。したがって、老人は家族が面倒を見るものであり、老人問題はないものと考えられてきた。問題は、「身寄り」がなく、かつ、貧困である、例外的なケースであり、戦前は、そのような例外的な老人は、民間の篤志家による養老院によって世話がなされてきた。戦後は、生活保護法の養老施設の対象とされてきた。

老人福祉法によって、所得の高低に関わりなく、身体上又は精神上の障害を持つ高齢者のニーズに対応する新型老人ホームである「特別養護老人ホーム」が創設された。特別養護老人ホームは、63年に1施設定員80名からスタートした(昭和38年版厚生白書)。なお、生活保護法の養老施設は老人福祉法の「養護老人ホーム」として引き継がれた。

今日、私たちは、特別養護老人ホームを「介護施設」と呼んでいるが、そもそも「介護」という用語は、老人福祉法で特別養護老人ホームを定義するために用いられた言葉である(「常時の介護」を必要とする老人の入所施設=特別養護老人ホーム)。この言葉が、広辞苑に収録されたのは、83年12月の『広辞苑』第3版からであり、その当時ですら「介護」という言葉は一般的には使われていなかった(増井元著『辞書の仕事』岩波新書)。

老人福祉法の制定に伴い、政府は100歳以上の者の表彰事業をはじめ、100歳以上の者を把握することになった。63年の100歳以上の者は154人であった。

2012年現在、総人口は1億2,751万人となり、高齢者数は3,000万人を超え、高齢化率は24.1%となっている。平均寿命は、この間に15歳も伸びた(男79.94歳、女86.41歳)。子との同居率は、ほぼ直線的に低下を続け43.2%となった(2009年)。特別養護老人ホームは、7,552施設となり、498,700人が入所している。

90年以降、経済の長期的低迷が続き、社会保障を取り巻く環境は激変した。給付と負担の均衡を図るため、年金、医療の分野では類似の厳しい見直しが重ねられてきた。そのような中で高齢者介護分野は90年のゴールドプランの実施、2000年の介護保険制度の導入によって飛躍的な発展を遂げてきた。

この半世紀間の長寿化と一方で進行する少子化が、わが国を先進工業国中で最も高齢化率の高い社会に押し上げて、われわれは、前人未到の高齢化の領域に突入しようとしている。かつてのような「先進国モデル」はなく、新たなモデルをわれわれ自身の手で創造しなければならない、最もチャレンジングな立場におかれている。

半世紀間で激変した医療・介護ニーズに的確に対応する、サービス提供体制を構築していくことが、喫緊の課題である。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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