こくほ随想

21世紀は保険制度の時代

イギリスは社会保障の母国であるといわれている。この国では、16世紀、ヘンリー8世の時代、宗教改革がすすみ国内の全ての修道院が解体された。ヘンリー8世がローマ教皇庁の支配から独立するといった場合、教皇庁による人々の福祉の基盤を解体することは、最も重要かつ、不可欠の作業であった。この後、修道院に代わる福祉の体系として、エリザベス女王によって1601年に救貧法が集大成された。新しい救貧法は、宗教の理念から独立して、救貧税に依拠した極めて斬新なものであった。もしイギリスがいわれているように、社会保障の母国であるとするならば、地方の自治に根ざした、この救貧法の歴史にこそ源流があることを認識すべきである。

1871年にドイツ帝国が生まれた。22の君主国と3つの自由都市からなる連邦国家であった。新しい国家の中央集権体制の強化が喫緊の課題であったビスマルクが、新しく登場してきた産業ブルジョワジーの力を借りて1883年に制定したのが疾病保険制度である。この制度は文字どおり保険料によって賄われる保険制度であった。産業ブルジョワジーは、保険料の50%の負担によって労働者に恩をうり企業への帰属意識をつくり、中央管理のヘゲモニーを構築することができた。

こうして人類の医療保障は、イギリスにみられる地方中心の税金を基盤とした「公」の体制を基盤とした体系か、ドイツにみられる職域中心の保険料を基盤とした「民」の体制を基盤とした体系か、どちらかの体系をモデルに発展してきたといえる。ここでわが国の国民健康保険制度をみると、まさに地方中心であるが、保険料を財源に運営されている。そして保健施設活動という形で健康づくりの事業を実践してきたという伝統がある。この特徴からすれば、わが国の国民健康保険制度は、イギリスとドイツの経験に学び、人類の歴史に第3の医療保障の道を開いたものであるといえる。その実績をもとに、わが国は国民皆保険体制を確保し、1986年に男女ともに平均寿命世界一の記録を達成した。

平均寿命が世界一の社会は、世界一多様な健康状態の人たちが生活している社会である。わが国の医療保険制度は、人類が未だ経験したことのない事態に直面することになった。そして2008年4月に「高齢者医療確保法」が施行され、特定健診・保健指導が実施されることになった。制度の眼目は「健診」ではなく、「保健指導」である。「健診」は入り口であり、「保健指導」がメインの舞台である。症状の「早期発見・早期対応」では遅い。「早期発見・早期対応」は、「元気な病人」をつくっているだけではないのかと考えられた。21世紀の健康づくりの舞台は、税金制度から保険制度へと進展した。実施主体が市町村から保険者に移行した。人々の生活の実態に挑戦する保健指導は、税金制度では公の介入になってしまう。そこで相互共済を理念とした保険制度の出番である。

医師法の第1条には、「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」とされている。医療は保健指導との連携があってこそ、その本来の役割を担うことができる。その医療と保健指導の連携に対し、医療保険制度が特定健診・保健指導の実施を通じて本格的に対応することが求められている。

21世紀は、保険制度の時代になるに違いない。それに対しては自治体の側からの積極的な支援が不可欠である。医師と保健師のチーム対応の推進に対し、例えば保健所の保健師が医療機関に派遣され保健指導を担うということがあって欲しい。特定健診・保健指導の場こそ、わが国の医療保険制度の歴史が生んだ画期的な舞台である。医療と保健指導の連携を実践するかけがえのない場である。保険者と自治体の協力を基盤に新しい時代を開く健康への挑戦の世界が育って欲しい。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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