こくほ随想

「少子化対策(2)」父親の育児参加とワークライフバランス

 前回で少子化対策には、児童手当など現金給付の充実がまず先決であることを書いた。しかし、日本では少子化対策として現金給付を推奨することは、財源的裏づけの不足もあるが、単なるばら撒きとして政策側に歓迎されなかった。少子化は食い止めたいが、子どもや親への現金給付は安易過ぎると避ける傾向があった。戦前の「産めよ増やせよ」への心理的アレルギーか、露骨な出産奨励策は児童福祉関係者や母親である女性の方が牽制してきた。
 「子どもは国のために産むのではない」「労働力として期待される子どもが可哀想」と感情的に反応する。額の少ない児童手当には目くじらを立てないが、 10万円単位になる過疎の自治体の出産奨励金はほとんどが3人目からの多子優遇が当たり前なので、インテリ女性には「金銭で出産を奨励するなんて」という反感があった。
 確かに結婚・出産は国のため、社会のためではない。しかし、現代では自分の老後の世話を期待して育てる人はいないだろう。子育ては私的な営みだが、子どもは親の所有物ではなく、育児のゴールは一人前の社会人にすることである。孟母三遷の教えではないが、育つ場所も家だけでなく、成長に応じて地域や社会へと広がる。
 近年、個人主義の肥大に伴い公序良俗という公共精神が縮小し、モラルハザードが問題になっている。その背景のひとつとして社会規範を体現する父性(男性)が弱くなったからと言われる。少子化についても男性は、「人口減少社会への対応は国が対策を講じるべき」「子育て支援に経済支援は必須」と、女性の情緒的反応と違って、クールで現実的傾向が見られる。
 そこで社会のモラル維持のためにも感情的な母性とクールな父性の両方のバランスが、人格形成のプロセスには必要だ。父性と母性の絶妙なバランスがあって、子どもは乳児から幼児、児童、青年とそれぞれの時期に必要な心身の養分を吸収して成長していく。
 社会や自然環境によって父性ともいえる厳しさを人が体験する機会が減ってしまった現代、育児に父親の参加が必要なのは、母親の育児負担軽減のためだけではない。子どもの成長自体への父性・厳しさを教える存在として必要だからだ。もちろん厳しさだけでなく、遊びやスポーツなどを通じての躍動感や勇気、我慢強さなども同様だ。
 育児休業が当たり前の欧州でも、男女の賃金格差は日本より少ないが、所得の低い母親の方が取得する傾向になる。そこで北欧ではパパクオーター(父親が育児休業を取らないと権利が消滅する)という工夫も凝らされている。授乳期は母親が取る傾向だが、1歳になれば父親で充分世話は可能だ。夫婦の給与額に応じてできるだけ有利な育児休業のとり方を指南する手引き書も普及している。
 そんな背景もあり、欧州ではウイークデイの昼間、乳母車を押し、子どもと遊ぶ父親をよく目にする。これが子どもの成長にどんな影響があるかは想像可能だ。活発さ、自我やアイデンティティの発達、精神的安定に父親の世話は大いに貢献するという調査結果もある。いじめや切れやすい子が多い今の日本、少年犯罪やニートや引きこもりの増加も、成長過程で父性に触れる機会の不足が関係していると分析されている。
 日本でも父親がもっと育児に関わり、将来の若者がもっと逞しく育って欲しい。近頃提唱されるワークライフバランスが、男性のエネルギーを少しでも家庭に取り戻してくれるかと期待している。父親の育児参加が当たり前の北欧では、バイキングの子孫で勇猛果敢な大男も家庭ではやさしい子育てパパに変身した。しかしそれも程度問題で、父親の母親化が問題になり始めている。氷上の新しい種目にひっかけて、過保護パパをカーリングパパと呼ぶそうだ。日本にもワークライフバランスでカーリングパパが出現するだろうか。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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