• 田中淳子
  • トレノケート株式会社 人材教育コンサルタント/
    産業カウンセラー/国家資格キャリアコンサルタント

Profile|たなか じゅんこ●1986年日本DEC入社。IT技術教育に従事した後、コミュニケーションなどビジネススキル教育を手掛けるようになる。1996年から現職。著書に『現場で実践!若手を育てる47のテクニック』(日経BP社)、『ITエンジニアとして生き残るための「対人力」の高め方』(共著、日経BP社)など。ブログ「田中淳子の”大人の学び”支援隊!」も好評更新中。

1月 「当たり前を」見直してみる

私たちは、多くの「当たり前」の中で生きています。「当たり前」は、それこそ当たり前過ぎて、自分自身がその制約に縛られていることを自覚していないほどです。

ある年末に実家にそろって帰省していたとき、父の体調が急激に悪くなり、かなりの介護が必要になりました。年末年始で公的支援はほぼ得られない最悪なタイミング。とにかく、年始に様々な機関が始動するまで家族で乗り越えることになったのです。

朝から晩まで父の要求(主にトイレ介助が大変でした)に応え、常に緊張状態だったものの、人手もあったことから、三度の食事も交代で作るなどして、助け合いながら毎日を過ごしました。3日も過ぎると全員がヘロヘロ……。誰もが表情も乏しくなり、目の下にはクマができ、イライラし始め、次第に追い詰められていきました。

その後、父の介護問題は、公的支援やご近所の方などにも助けられ、なんとか解決。子供たちもそれぞれ自宅に戻り、仕事にも復帰できました。


数カ月経ってから、妹としみじみ話したのは、「なぜ、あのとき、一生懸命三食全て作ってたんだろう。デリバリーを頼むとか総菜を買ってくるとかすればよかったね」ということでした。

ご飯は作るもの、と全員で思い込んで、他の選択肢を誰も思いつかなかったのです。介護という緊急事態。ご飯なんて、もっと出来合いのもので賄えばよかったのに。

このように「当たり前」にとらわれ、がんじがらめになってしまうということはいつでもあるように思います。


どんなことでも、作られた「当たり前」があるものです。前提が変わったら、前の前提の下で作られた「当たり前」は見直せばよい。「あれ? おかしくない?」と思ったときに、本来実現すべきことは何かを考えた上で、「当たり前」にとらわれていないかを見直してみることは大事です。

「当たり前」にがんじがらめになっている人は、その渦中にあると自分で気付くことはできません。誰かがそっと「それって本当に変えられないの?」と問いかけてみることも意味があるはずです。