リスク構造調整の経緯と考え方

わが国の皆保険体制は、分立した制度・保険者の下に構築されている。根拠となる法律は、健康保険法、船員保険法、国家公務員共済組合法、地方公務員等共済組合法、私立学校教職員共済組合法、国民健康保険法、高齢者医療確保法の7つ。だが、財政運営の単位でもある保険者数でみると3400余、来年度からの国保を47として数えても1700を超える。

これらの制度・保険者間の給付と負担の均衡をいかにして確保するか―皆保険体制が当初から背負った難題であった。

医療給付は、当初、被用者保険本人は10割、被用者保険家族と国保は5割という格差があったが、今日では原則7割、就学前の子ども8割、高齢者7〜9割に統一された。

問題は負担の均衡確保。調整手段は国庫負担の傾斜配分または保険料財源の移転をともなう財政調整のいずれか。

皆保険達成後、しばらくは国庫負担による調整が採用された。国保への重点配分は当然のこととされ、政管健保についても昭和48年改正により定率国庫負担が導入された。高度経済成長による潤沢な国家財政と若い人口構造がそのような選択を許容した。

しかしその後、高齢化の進展と無料化により老人医療費が増高する一方、高度経済成長の終焉により国家財政が窮迫し、国庫負担による調整に制約がかかった。高齢化の影響を直に受ける国保に対して、現役世代中心の被用者保険はほとんど受けない。国庫負担による調整を継続すれば国保への際限のない国庫負担の投入になるが、それは許されない。

こうして昭和50年代に入って、老人医療費について、受診時の適切な患者負担の導入や壮年期からの保健事業の推進とともに、財政調整が模索されるようになった。

とはいえ、保険者努力の余地がある医療保険では、赤字保険者を黒字保険者が一方的に支援するような調整は受け入れられない。支援側になる被用者保険、なかでも健保組合やそのステークホルダーである経済界や労働組合の理解を得るにはどうすればよいか。

合意形成に向けた視点は、保険者努力の及び難い構造的要因に着目した、いわゆるリスク構造調整であった。最初に採用された調整指標は、老人を抱えるリスク指標としての老人加入率で、衆目が一致する最大の構造的格差要因であった。

その皮切りになったのが昭和57年の老人保健法の制定。昭和59年の退職者医療制度の創設がそれに続いた。いずれも平成18年改正による高齢者医療制度の創設(平成20年4月施行)により廃止されたが、高齢者医療費について、医療保険各制度が共同で支え合うという理念はしっかり継承された。ただし、そこでの共同負担は加入者数に応じた頭割りの負担にとどまっていた。

構造的要因としての負担能力の格差は歴然だが、被用者の「報酬」と自営業者等の「所得」の間で共通の基準の設定は難しい。何よりも自営業者等の事業所得の捕捉にはサラリーマン層の不公平感がある。

しかし、被用者保険に限定すれば報酬水準に着目した負担の公平化は可能である。こうして、平成22年の改正により、被用者保険の後期高齢者医療支援金の3分の1が加入者割から総報酬割に改められ、さらに平成27年改正により、経過措置を経て平成29年度から全面総報酬割に切り替えられた。同様に介護保険の被用者保険納付金についても、平成29年の改正により、経過措置を経て平成32年度からは全面総報酬割に移行する。

こうした経緯を経て、国保制度改革においても、年齢構造・所得水準に着目した、リスク構造調整の仕組みが明示的に導入されることになった。納付金の仕組みの採用と国の普通調整交付金によって、それが実現した。保険者努力の促進と社会連帯の強化に向けた調整の深化である。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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