こくほ随想

保健事業と交渉術

従来、保健事業では庁内や担当者間の調整、委託事業者との調整などが主であった。しかし、特定健診の受診率向上や重症化予防事業で効果を高めるには、医療関係者の新たな協力を得ることが不可欠となってきた。

新たな取り組みには交渉がつきもので、それを乗り切るためには高度な交渉術が必要とされるようになった。交渉する際に大切なことは、事前の準備と交渉の技術に分けることができる。ここでは、特定健診の受診率向上策を医師会・医療機関に説明する際に行うべき「準備」と「組み立て」について述べたい。

交渉前に行う作業で最も重要なのは資料の作成である。不十分な資料や体制で交渉に臨むと、相手方の機嫌を損ねてしまい次々に高度な要求が出る場合もあるので、準備不足は交渉の失敗に直結しがちである。十分な資料作成を行うことで、交渉成功の可能性を高めることができる。

資料作成のポイントは三つあり、これらを網羅すべきである。

第一に「理(ことわり)」を伝える視点である。事業の意義や法律の背景、なぜこの事業に取り組む必要があるのかなど、理性に働きかけるものである。重要なのは、当該事業の解説から開始するのではなく、まずは国保の保健事業の全体像を簡単に示して、事業の位置づけを明らかにすることである。データヘルス計画書にこのような記述があれば引用するとよい。その上で事業の意義や必要性、現状を説明する資料を作成する。特定健診・特定保健指導制度が医療保険者の義務であること、保険者努力支援制度の本格実施に伴い、受診率向上が喫緊の課題であること、特定健診の対象者に治療中の人を含むこと、治療中の人の受診率が低いことなど、医療機関の協力の必要性を示す。

第二に「利」を伝える視点である。資料では協力することによって得られるメリットを、なるべく客観的に説明する必要がある。十分な情報やノウハウがない場合には、実績のある医療機関などをあらかじめ取材して情報を入手するとよい。また協力の際に負担があることを、率直に説明することも大切である。具体的には医療機関で健診を実施すると患者負担が少ない(ない)こと、診療と同時に行う場合の注意点、診療の負担を減らすために時期や時間帯を設定する方策や、あらかじめ取材した実施例などを示すことで、医療機関にメリットのある実施が可能であることを伝える資料とする。

第三に「義」を伝える視点である。協力してほしいこと、協力してもらえれば大きな成果を上げられること、協力が得られなければ目標の達成はほとんど不可能であることを示して、共感を求めるものである。その際に「すでに私たちのできることは全て行っている」ことを示す資料を用意することも重要である。

上記の準備と並行して、交渉相手の性格や考え方を把握した上で、どの資料から順に説明するのか戦略を練る。場合によっては資料の組み替えを行う。例えば、中国の「十八史略」を読むと、自分の意見を各地の王に取り入れてもらうには、王の性格を十分把握する必要があると説いている。資料を準備するだけではなく、どの順番で説明するのか、どの資料を決め手に使うのかが重要となる。「義」で動く王もあれば、「利」に聡い王もいる。「義」を重んじるように見えても、「利」を重んじる王もいる。王の性格に合わせ順序や内容を調整することで、意見を聞き入れてもらうのである。受診率向上策においても同様に、個々の医師や看護職、事務職などの職種や立場に応じて強調するところを変え、患者がかかりつけ医で健診を受けることの重要性と意義を「理・利・義」の視点から説明すべきである。このような準備と工夫があって初めて医療機関の理解と協力を得ることができる。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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