こくほ随想

国民皆保険体制を支える国保制度

わが国の「国民皆保険・皆年金体制」は、しばしば「世界に冠たる」という枕詞をつけて語られる。「皆」が意味するユニバーサルな保障ということ自体は、別に取り立てていうほどのことではない。国際的には、全額税財源により公共サービス方式の保健医療や年金を一律平等に支給する国は、決してまれではないからである。しかし、拠出制が基本原理である社会保険においてこれを実現することは、極めて難しい。その難題にあえて挑戦するわが国の皆保険・皆年金体制は、まさに世界に冠たるものといえよう。

その重荷を一身に背負っているのが国保制度であり、皆保険体制の基盤といわれる所以である。低所得者を多く抱え、保険料徴収にも困難が伴い、小規模保険者も多く、保険料負担の格差も著しい。これらの当初からの問題に加えて、昭和50年代以降、高齢化の進展に伴う老人医療費の負担や非正規労働者の増加も重圧になった。

これらの構造的問題にどう対処するか。皆保険体制の発足当初から、被用者保険との均衡を図るという観点から、税の重点的投入が行われてきた。しかし、予算という現実的制約にとどまらず、社会保険を基本に置くわが国の社会保障体系を堅持する上でも、税財源の投入にはおのずから限度がある。

運営が困難だとはいえ、自営業者等の医療を税財源による公費負担医療(公共サービス方式)に切替えた場合、従来の国保制度と同様に、軽い負担で自由に医療を受けることが許容されるだろうか。

仮に、それが許容されるのであれば、他の医療保険制度も公費負担医療へ切替えなければ、公平性が確保できなくなる。同じように医療を受けるのに、被用者だけに社会保険料負担を求めるわけにはいかないから、全面的な公費負担医療への切替えが必至である。マクロ的には社会保険料負担から税負担への切替えだが、後者の方がはるかに強い抵抗を受ける。所得制限は必至だろうし、患者の受療や医療機関の診療の自由度も相当に制限されてくるのではないだろうか。

国保制度が崩壊したとしても、公費負担医療への切替えがあり得ないとすれば、自営業者等は無保険になり、福祉的医療としての生活保護の医療扶助しかなくなる。さらに、国保を含む医療保険各制度の拠出金による財政支援を受けて、市町村が都道府県単位で共同運営している後期高齢者医療制度の崩壊にも波及する。被用者保険は75歳以降も被保険者資格を継続することになろうが、被用者保険加入者である一部の高齢者とその被扶養者を除く、多くの高齢者が無保険者になる。同様に、医療保険各制度が支える介護保険制度も成り立たなくなる。

そうなると、民間保険の出番になろうが、税の補助がなく保険料が高額化するほか、所得水準に関係なく一律になり、疾病リスクの高い高齢者の保険料はさらに高額化する。民間保険に加入できるのは一部の高所得者に限られよう。大量の無保険者、医療・介護難民の発生である。「生活保護があります」では済まない社会問題になるのは必至である。

こうしてみると、皆保険体制を支える基盤として、いかに国保制度が大きな役割を果たしているかがわかる。なんとしても国保制度を守り抜かなければならない。来年度から全面施行される国保制度改革は、国・自治体としてのその決意表明である。

改正により、都道府県が市町村とともに国保事業を行う。具体的には、両者が共同保険者になり、市町村が従来どおり保険者機能の基本的部分を担いつつ、新たに都道府県が「財政運営の責任主体」として広域的な調整機能を担う。皆保険達成以来の大改革で、歴史的快挙である。

驚くべきことは、これだけの大改革が世間的にはほとんど話題になることなく、静かに進んでいることである。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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