こくほ随想

「Community-based care」のゆくえと
国家の役割

これまで富の再分配は国家のみが行うことができる役割であったが、今では国家のみにこの機能を頼る必要がなくなりつつある。なぜなら、世界の人口のわずか1%を占める超富裕層が所有する富は、世界の富の48%を占めているが、この集中化の傾向は、さらに強まると予想されており、しかも彼らは独自の富の再分配システムをも構築しようとしているからである。

すでにIBMのように中堅国家のGDP(国内総生産)に匹敵する企業も出現し、個人で途上国の年間予算以上の資産を持つ人々もあらわれている。

例えば、ビル・ゲイツは自らのファンドを設け、かなりの資産をこのファンドに寄付しているが、これを慈善事業とみるものはいない。

彼らは自らの地位を安定的に維持するために政府を経由しないで社会に富を還元するメカニズム、すなわち、富の再分配機構を構築し、社会と自らの財とをつなぐパイプを創ろうとしている。

これは超富裕層が、国家に協力してきた理由として共産主義体制への恐怖があったが、その共産主義体制はすでに崩壊しており、政府の要請に応じて富の再分配に協力する動機は失われたという理由だけでなく、この新たな富の再分配システム構築の前提として、民主主義的な国家が徐々にカネと情報に対する統制力を失いつつあるという事実がある。

すなわち、これまで国家による金融、財政政策でのみ、公平な再分配ができると考えられてきたことは幻想ではなかったのかという言説を国家機関が情報テクノロジーの進歩のスピードについていけず、結果として政府関連システムの脆弱さが露呈していることによって、この動きは加速化している。そして、このことは、現在の超富裕層が民間部門とのギャップを埋める新しいメカニズムを創っただけでなく、これを広く普及しようとする推進力になっている。

すでに、国家を経由しない仕組みとして、ビットコインという決済システムが市民権を得つつあるが、この新たな決済制度は2013年におきたキプロス政府による預金封鎖が契機となり、脚光を浴びることとなったとされる。歴史的に見れば、キプロスのような国家財政破綻の例は少なくない。日本も第二次世界大戦後、預金封鎖による強制課税やハイパーインフレを起こしてきたし、国債は何度も紙屑になってきた。

しかし、今回、国家が裏付ける貨幣システムの代替として、多くのキプロスの人々が、ドルや金ではなく、ビットコインという全く新しい仕組みを選択したということが、これからの国家のゆくえを示す象徴とも考えられるのである。

これらの事実からは、国家の社会に与える機能の弱体化と社会における国家が占める場の狭小化という循環が起こっていることがわかる。このような政府を経由しない層からの社会へのパイプは、国内外の政策策定に無視できない影響力を良くも悪くも行使できるようになっている。

この結果、多くの国家において、「あなたが国家から何をしてもらえるかでなく、国家なしに、あなたは何ができるのかを考えなければならない」という時代となったと同時に、「あなたは、あなたが住む(地域)社会で何ができるかを明確にしなければならない」という時代が始まりつつあると解釈すべきであろう。

国家は本来、国民を守り、安定を提供する存在である。しかし、これが不安定となったとき、人々は自分達だけで、安定を構築していく必要が生まれる。この考えが基盤となって創られる「Community-based care」のあり方は、従来の地縁を強化したノスタルジックな地域共同体をイメージしてシステムを創ることとは全く異次元のものといえる。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

←前のページへ戻る Page Top▲