こくほ随想

社会保険における保険者に
求められる機能 その1

日本の社会保険は、これまで紹介してきたように、冒険貸借を祖とする抛金等の私保険の運営組織に端を発したものであるが、ビスマルクによる賃金労働者を対象とする社会保険と、全国民を対象としたベバリッジ報告に基づく社会保険という2つの系譜を経て成立してきたという理解が一般的である。

私保険は、保険契約者が支払う保険料と保険事故発生の際に支払われる保険金の数学的期待値が等しいことを原則とし、これは「レクシスの法則(P=WZ)」として示されてきた。Pは個々の場合の純保険料の金額、Zは個々の場合の保険金の金額、Wは事故発生の確率となる。したがって、この式では、事故発生の確率が高いほど保険料は高くなる。また、保険契約者には期待される保険金と支払う保険料を等しくすることが前提となる。

しかし、日本の社会保険は、このような保険原理を前提とせず、マクロ的な観点からの「収支相等の原則」という保険原理によって成立している。つまり、対象とするリスクに対応する支出を賄うことを目的として保険料を強制徴収し、その資金がプールされるという仕組みを社会保険と呼び、これを国が運営してきたという説明ができる。

また、このような保険への強制加入や垂直的所得再分配は社会保険のもつ社会性、すなわち生活の安定を脅かす社会的リスクに対応するためであり、これは全国民に普遍的に受け入れられやすいと考えられてきたともいえる。

日本は50年以上をかけて、この日本流の社会保険により、国民皆保険制度を創りあげ、これによって世界でも希少な医療サービスへの公平なアクセスを、国民の負担をそれほど大きくすることなく実現してきた。

だがこの実現にあたっては、その運用に際して他の先進諸国とは異なる財源調達を行ってきた。すなわち、医療保険には保険料だけでなく、多額の税が投入され、すでに医療費の4割近くは税財源によって賄われている。

もちろん社会保険方式を採用している国でも公費は投入されているが、公費投入の目的は明確で、かなり限定的な運用となっている。とくにドイツは社会保険への税財源の投入に慎重で、2004年までは公的医療保険に対する公費投入は行われず、2010年の公費負担割合は公的医療保険全体の収入額の1割にも満たない。

しかし、日本は税の投入によって、給付水準に対する保険料負担を著しく抑えることを可能とし、保険者、被保険者いずれにも医療の真のコストが認識されないという状況をつくってしまった。しかも税財源は主に財政力の弱い保険者に対して投入され、過去には財政状況が悪化した保険者に対して、公費投入の比率を引き上げるということさえ行われてきた。

これでは、諸外国において保険者が行っているような疾病管理や病院経営の効率化を通じ、医療費適正化に取り組むといった行動は期待できないだろう。なぜなら、一般的には、財源が乏しくなれば、国に対して追加的な支援を求めるという行動を選択したほうが、問題は解決するからである。

この結果、日本の保険者は単なる支払い機関となり、関係者の多大な努力があったにもかかわらず、保険者機能を十分に発揮しているという評価を受けたことがなかった。

換言するならば、日本風の社会保険である医療保険のあり方は、保険の原則から外れているだけでなく、運営主体である保険者が本来、持つべき、保険者機能を発揮することなく制度の維持発展に貢献してきたという、国際的にも稀有な実態となっている。

このような状況下で保険者には、全般的な観点からの医療サービスの効率性の改善に資する機能だけでなく、地域医療供給の在り方に際しての積極的な関与も期待されるようになっているのである。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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