こくほ随想

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消費税と社会保障

11月21日に衆議院が解散され、総選挙となった。直前の17日に今年第3四半期(7~9月)のGDPの速報値が発表され、マイナス1.6%という予想外の低さで衝撃が走った。翌18日に安倍首相が記者会見し、法定されていた2015年10月の消費税率10%への引き上げを1年半延期するとともに、解散を表明した。今回の解散を、首相自らは「アベノミクス解散」と名付けているが、消費税率引き上げの先送りが直接の引き金であった。

周知のように、現在進行中の社会保障制度改革は「社会保障と税の一体改革」の枠組みで行われている。社会保障財源として消費税率を14年4月に8%への引き上げ、さらに15年10月に10%に引き上げることを前提としている。この財源の保障の下に、年金、医療、介護、少子化の4分野の改革が組み立てられてきた。そして、社会保障制度改革の進め方は、13年12月に成立した「プログラム法」で規定されている。14年の通常国会で「医療介護総合確保推進法案」が成立したのも、15年の国会に医療保険制度改正法案が求められるのも、以上の枠組みで決められているからだ。

そもそも消費税導入以来、この税と社会保障の係わりは深いものがある。1989年4月に税率3%で導入された消費税は国民に極めて不評であり、直後の参議院選挙で自民党は過半数割れし、「ねじれ国会」が出現した。社会党は、消費税廃止法案を提出し、参議院では可決される始末であった。政府としても国民の理解を得るため必死となり、当時の野党であった公明党・民社党からの要望が強い老人福祉対策の充実を目指すこととなった。このようにして、89年末の予算編成で「高齢者保健福祉推進10か年戦略」(ゴールドプラン)が策定された。長らく福祉界は、長期的な福祉計画の策定を切望してきたが、予算単年度主義の厚い壁に阻まれ実現しなかった。それが、このような経緯で実現したのである。

93年には細川連立政権が成立した。94年2月に細川首相は、突如、消費税率7%とする「国民福祉税」構想を発表した。しかし、国民福祉税の使途について詰めの甘さを露呈し、この構想は数日で撤回された。この騒動を通じ消費税財源の使途として社会保障が強く意識されることとなった。これを受けた当時の厚生省は新たな税財源が確保されるならば高齢者介護に重点的に充てるとする方針を固め、以後、介護保険制度創設に向けてひた走ることとなった。

引き続く自社さ政権の下で、90年代半ばの消費税率の引き上げを見越して、95年には「新ゴールドプラン」と「エンゼルプラン」が、96年には「障害者プラン」が、それぞれ開始されることとなった。

97年4月に消費税率は5%に引き上げられたが、同年秋には、世界同時株安が生じ、国内では三洋証券、拓銀、山一證券が破綻する金融危機が生じ、経済は急激に失速した。同時期に実施された健康保険の患者負担の引き上げが、消費税率の引き上げとともに経済を失速させたとの批判も高まった。

その後、長らく消費税率引き上げは封印されてきたが、民主党政権の下で「一体改革」の検討が開始された。民主党内では増税の是非で厳しい対立が生じたが、何とか議論を取りまとめ、税制改正2法案と社会保障関連5法案が国会に提出された(12年3月)。同年6月には「3党合意」が成立し、「一体改革」の枠組みが固まった。14年4月の消費税率8%への引き上げとともに社会保障制度改革も実施に移され、「一体改革」がまさに始動した。

今回の「引き上げの先送り」が社会保障に及ぼす影響は極めて大である。消費税収が予定より減少するので、財政運営は厳しい。それでも15年度は8%への引き上げの満年度化効果で消費税収が若干増加する。16年度はそれもなく、改革の後退が懸念される。

良質で効率的な医療提供体制の確立と地域包括ケアシステムの構築のためにも、一体改革の枠組みの堅持が必要だ。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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