こくほ随想

西洋医学の歩み-細胞病理学への道-

医聖とされるヒポクラテスの医学では、人間の身体の状態は血液、粘液、黄色および黒色の胆汁、これらの4つの液体の調和の中にあると考え、これらの4つの液体の調和が崩れた状態が病気であるという理解をした。「液体病理学」と呼ばれている。ここで液体というものの特質は何かと考えると、つねに混ざり合って部分がないということである。だから「液体病理学」では、病気になるのは、液体の入ったひとつの大きな袋ともいうべき「人間」という全体であると考えた。

ミケランジェロが描いた、人類の至宝とされる、ローマ・バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画の中のひとつ、「アダムの創造」はあまりにも有名である。人類の祖先アダムに、神が、今にも生気を吹き込もうとしている、まさに人間の誕生の瞬間が描かれている。ミケランジェロが、この天井画を完成したのは1512年のことである。神から生気を受けて人間が誕生したという、そういうルネッサンスという時代を迎えて、人類の医学は、ヒポクラテスの医学に対する挑戦に向けて、新しい地平に立ち、新しい一歩を踏み出すことができた。

1543年、ヴェザリウスが人体の精緻な解剖を行い、『人体解剖図譜』を発表して、人間の身体の詳細な構造を明らかにした。この1543年という年は、コペルニクスが『天球の回転について』によって、「地動説」を唱えた年でもある。解剖にも似た、天球の詳細な観察によって、プトレマイオスの天動説を破る新しい学説、地動説が発表された。これらの天才による大宇宙と小宇宙の解説の書が、それぞれ同じ年に発表されたことは、偶然の一致とは思えない。ルネッサンスという時代の中で、コペルニクスは地球の中に宇宙を発見し、ヴェザリウスは人間の中に自然を発見して、地球、そして人間に生きた息吹きを吹き込むという役割を果した。

1628年にイギリスの医師ハーヴェイが、血液循環論を発表した。これによって自然の中に生きる、自律した存在としての「人間」が発見された。その功績によってハーヴェイは近代医学の父と呼ばれている。1700年にパドア大学の教授であったラマッツィーニが、多様な職業についている「人間」の罹る病気として、54種の働く人々の病気を記載して、「人間」全体が罹る病気を報告した。1761年にモルガーニが、病理解剖学の手法を駆使して、人間全体が病気になるのではあるが、それぞれ病気には、病気になる固有の場所としての「座(sedibus)」と固有の「原因(causis)」が存在すると報告した。

1801年、パリのオテルディユ病院のビシャーが、「器官」の下に固有の病態を有する「組織」が存在することを見出して、その「組織」が人間全体から独立して「単独に罹病する」ということを報告した。人類の医学史において初めてヒポクラテスの液体病理学を超える地平が示された。しかしビシャーは、顕微鏡を毛嫌いしたため、「組織」の下に存在する「細胞」の存在を認識することができなかった。これに対し、1839年、シュワンが顕微鏡を駆使して、植物と同様、動物も端から端まで「細胞」からなっていると報告した。

1858年、ベルリン大学の病理解剖学の教授であったウイルヒョウが、『細胞病理学』を発表した。その中で、「細胞の生ずるところ、必ずそこに細胞が先在していなければならない(全ての細胞は細胞から)」と述べた。これによってウイルヒョウは、人間の疾病は、人間全体がなるものではなく、細胞が自律的に自分と同じ細胞をつくる、その細胞の存在様式の異常が疾病であることを明らかにした。つまり疾病になるのは、人間という全体ではなく、細胞が本来の疾病の単位であるということを明らかにした。こうして到達したウイルヒョウの細胞病理学の考えに立って、今日の人類の医学は体系化されている。ウイルヒョウは、現代医学の父と呼ばれている。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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