こくほ随想

生涯発達理論の誕生

人間がどのように年をとるか、よりよい一生を送るにはどうすればよいかという命題は人類の誕生と共に存在した筈である。しかし、それを学問的に扱おうとする老年学が生まれたのはわずか100年余り前に過ぎない。免疫学者メチニコフが、1903年、ギリシア語の老人を意味するジェロンに学を意味するトロジーを加え、老年学を意味するジェロントロジーという新しい英語の用語を創ったわけである。メチニコフは、ヨーグルトの乳酸菌の作用の発見などによりノーベル賞を受賞している。老年学という用語を生み出すにふさわしい人物であったといえる。

この用語が生まれた20世紀の初めは欧米先進国の平均寿命が50歳を超え始めた頃であり、さまざまな分野で高齢期の問題を考えたり老化を学問的に取り扱う必要が生まれたという時代背景があった。同時に、ルネサンス以降、タテ割りになり要素還元的になった個々の学問を統合しようとする気運も老年学の誕生を後押ししたものと考えられる。老年学は学際的な学問といわれる。この学際的を意味する英語のインターディシプリナリーには、学問間の壁を取り払っていくことも含意されている。

学問を統合する使命を担って登場した老年学だが、当初は人間を全体として捉えるのではなく、臓器や細胞といった要素に還元して老化を研究した。その結果、ストレーラーの老化の定義にあるように、老化は有害なものであると考えられるようになった。このような風潮は1960年代まで続いた。個別臓器を見ていくとすべて老化により劣化していくので、このような見識が生まれたのである。

しかし、1970年代に入り、人間全体をしかも心と体の両側面から人間の老化を見ていく研究が結実するにつれ、老化に対する考え方に大きな変化がもたらされた。人間の能力のうち、比較的単純な動作性(流動性)能力は加齢にともない低下していく。しかし、価値判断をしたり概念を操作したりの言語性(結晶性)能力は死の直前まで保たれるということも明らかとなった。これを心理学では終末低下とよぶ。ピンピンコロリという用語はこの終末低下理論の延長線上にある。しかし、これは一種の戯画化ではある。人間の能力は、たとえば金銭管理能力なども死亡する2年前くらいから衰えていくのが普通である。しっかりしているように見えても「オレオレ」サギに引っかかることもある。ともあれ、長い人生において、2年くらい衰える期間があっても、ピンピンコロリといって差し支えないであろう。

終末低下理論と共に、生涯発達理論も生み出された。それまで人間の生涯は成長・発達から完成・成熟へと進みやがて老化・退行していくと考えられていた。しかし、生涯発達理論は、人間は生涯発達していくと考えるのである。この発達は人格面と能力面からアプローチされている。人格面の発達理論はマズロー、エリクソンらに詳しい。能力面の発達理論はドイツの発達研究所のバルテスの研究に負うところが大きい。老年学の発達理論は、成人期に完成した諸能力が直線的に向上していくことを意味しているわけではない。その意味で、不老長寿やアンチエイジング理論とは異なっている。

バルテスはピアニストの、晩年のルービンシュタインへのインタヴューを通じ、その生涯発達の原理を示している。それによると、加齢にともない指づかいは遅くなる、しかしテンポにコントラストをつけることで負の要素を正に変えていく。曲目は減らし集中的に練習できるようにするというものである。老年学の生涯発達は、老化を否定するのでなく、逆手にとって、発達・円熟に結びつけていくことを意味しているのである。


参考文献:生活・福祉環境づくり21・日本応用老年学会共編著『高齢社会の「生・活(いき・いき)」事典』

(社会保険出版社、2011年)


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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