こくほ随想

大山名人の美学

私は20代の後半、新聞記者をしていた時に、将棋の大山康晴名人の担当記者をしたことがある。一芸に秀でている方は誰でも立派だと感心する点をいくつも持っておられて教えられるところが多かった。

あるとき、大阪の心斎橋を二人で歩いていたときのことである。当時(昭和30年代の初めごろ)は街頭で詰め将棋が流行っていた。詰め将棋の問題を提示して、それに正しく答えたらピース20箱(200本。当時は両切りしかなかった)をくれるが、答えられなかったら500円(現代の価値に直せば5,000円ぐらいか?)払わせられた。大山名人はフト見掛けた街頭の詰め将棋を見て、私に「一緒に来ませんか」といって誘いながら、その詰め将棋を開いている方にスタスタと歩いて近づいた。

すると、大山名人の顔を見るや、その人はいきなり、ピース10箱入った箱を2つ出して大山名人に平身低頭した。私はそのとき、大山名人の顔は当時はまだテレビが開局していなかったが、売れていて、敬意を表したのだと思ったが、そうではなかった。そのピースの半分(100本)を大山名人は私に「君、半分もらっとけよ」といいながらこう説明した。「水野さん、僕がなぜ詰め将棋の方に行ったかわかりますか?実はあの詰め将棋の問題はいくらやっても解けない、つまり、詰まないのですよ。詰まない詰め将棋を出題するのはサギですよ。多分僕の顔を見て店をたたむでしょう。帰りにもう一度この前を通ったらわかりますよ。あの男も10代のときには専門棋士になるために勉強したのだろうが、棋士になるハードルは割に高いのでなれなかったのだと思う。多分、棋力でいえば連盟の二段ぐらいの力はあると思いますがね」といった。そしてひとこと「詰まない詰め将棋は形に崩れたところがあると私は思います」とつけ加えた。

そして心斎橋を南に歩きながら「あなたも私を担当していると、いろいろな人から対局している人のどちらが勝つかを尋ねられることがあると思うが、その答はなかなかむずかしい。はっきりいえばどちらかが勝つまでわからないというのが正答だが、ひとつ重要なヒントがある。二人のさしている盤面の陣形を見て、陣形が美しいほうが8、9割勝ちますよ」と教えて下さった。

そういえば大山名人の将棋は陣形がいつも端正で美しかった。ついでにいうと大山名人の服装はいつも美しかった。和服でも、洋服でもきちんとしていて、アイロンの当たっていないズボンをはいている姿はついぞ一度も見たことがなかった。

大山名人にこういわれてから、私は美しい陣形というものに眼を注ぐようになった。そういえば、戦国時代の武将のいくさの陣形がいまだに日本史の教科書に登場しているが、「姉川の戦い」も「三方ヶ原の戦い」も陣形が美しいほうが勝っている。きわめつきは「関ヶ原の天下分け目の戦い」である。合戦が始まって全般的に西軍の方が押し気味だったが、小早川軍の内通によって陣形が乱れて、ガタガタと負け戦になっていく。陣形が整っていないのに勝ったのは「桶狭間の戦い」ぐらいのように思える。

「スタイルなどどうでもいい。問題は内容だ」という人も多いにちがいない。しかし、形も整わないのに内容は勝れているというのは、天才かなにかにちがいないと私は思う。普通は形が整わなくては、とても内容のいいものを表現したりはむずかしいのではないか。「名は体を表す」という言葉もある。

どうも、政界のほうも、いまの内閣は陣形すらないのではないかと思われるぐらい荒廃している。大山名人が生きていたら、私に「いまの政界というのは、本陣も大将もなくてただ武将だけが思い思いの姿勢で立っているだけのように見えますね。陣形どころか、大将の顔がないのではないかと思われる」というにちがいない。(完)

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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