こくほ随想

医療ツーリズム

「医療ツーリズム」といわれる現象が、日本でも話題になり、識者の関心を引きはじめている。これは、一種、世界的な傾向だともいわれているが、ほんとうはよく考えてみないといけない問題だと私は思う。

この言葉はそれほど人口に膾炙(かいしゃ)していないので若干説明を必要とすると思う。これは、もともとは、世界でトップに達しているアメリカ医学の恩恵を受けようとした世界中の富裕階級の人(患者)たちが、金に糸目をつけずに、アメリカに行って治療を受けはじめたころから盛んになりはじめたものである。時期的には心臓のバイパス手術がアメリカで登場した頃(1970年代)から出てきたもので、これに目をつけた旅行業者が「ツアー」を組んでやるようになったのは、前世紀の終わりから今世紀のはじめにかけてからである。

この現象が、医学の先進国といわれるアメリカやヨーロッパの先進国で行なわれるのならよくわかるが、実際はアメリカを別とするとヨーロッパの各国より、タイやシンガポールなどのほうがはるかに盛んである。これは、国全体のレベルは別として、各国の医師の中には、アメリカで勉強して、高度の医療技術を身につけて出身国に帰国したドクターはある程度存在している。これらの人たちの中には自分の国のレベルが低いために、勉強した技術を発揮できなくて髀肉の嘆(ひにくのたん)をかこっている人たちは結構いる。これらの人たちに、うまく資金を提供すれば、存分に腕を発揮することができ、医師や病院の収入も飛躍的にふやす。つまり、コマーシャリズムと医療がドッキングできれば、この事業は成功するのである。

しかも、現代医学は発達を続けており、健康保険で行なわれている以上の医療は存在していることは事実である。とくにガンや心臓血管系の医療は文字どおり日進月歩である。率直にいって健康保険では追いつかない部分はある。

一方、これらの病院の医療費はこういっては悪いが取り放題である。当然のこととして働く医療従事者の給料も高い。医師は数倍になっているという。もとより、これらの医療ツアーに参加する人たちは富裕階級である。病院側は診療の技術面だけでなく、高いアメニティを提供して、入院中も快適に過ごせるようにし、食事も超一流のものを提供できるように配慮している。アメリカをはじめ、各国の例を見ても参加した入院患者は満足しているといわれ、このツアーは“人気ツアー”として旅行会社の“ドル箱”にもなりはじめているという。

このように見てくると“新しい産業”としていいのではないかと思う人が多いだろう。しかし、私は双手を挙げて賛成とはいえない。それは、本来、平等であるべき医療が、金によって差がつけられるのを公認せよというのが正しいのかということである。これに賛成の人は「特区」だという。しかし、スタート時点では特区でも、どんどんふえればそれが当たり前になり、折角築き上げた健康保険は雲散霧消してしまう危険性が高い。つまり、オバマが登場するまでのアメリカの医療のようになってしまうおそれが十分ある。

私が遺憾に思ったのは、先日テレビを見ていたら菅総理が「医療ツアーは経済に貢献するし、推進したい」という趣旨の答弁をしていて、驚いた。何と浅はかな思慮なのだろう。総理なら、当然、医療ツアーと社会保障の関係を思い浮かべるべきではないだろうか。これは正真正銘の医療の自由診療である。日本の一部で自然発生的に医療ツアーを受け入れる病院が誕生するのならともかく(それも特例的に)一国の総理が「結構です」という国が民主主義を国是としている国の在りようなのだろうか。ある会合で私が以上のようなことを述べたら、ある人が「民主党にそれだけのことを瞬時に判断できる人が少ないのではないか。いまや“イラ菅”ではなく、“スッカラ菅”ですよ」といっていた。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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