こくほ随想

消費税の前に考えること

消費税のアップが公式にいろいろといわれ始めた。昨年の衆院選のマニフェストで「向う4年間、解散をしない限り、消費税は上げない」と民主党は主張していたが、菅総理に替わったら、突然「消費税のアップを議論しよう」と野党(自民党)に持ちかけ、自民党の主張していた消費税10%を土台に議論を始めようと提案した。まったく唐突でちょっと“正気の沙汰”なのかと疑った人も多いだろう。

いま、民主党は社会保障にたいして何を提案すべきかを考えてみると、多分金が足りなくなるだろうから(現在でも非常に不足している)とりあえず消費税を5%上げておこうというような思い付きを唱えるのではなく、持続可能な社会保障は、どういうものかを国民に予算を付けて提示すべきである。つまり、民主党として「グランド・デザイン」を国民に提案し、それを実現するためには、どれぐらいの予算を必要とするかを合わせて示し、両方について国民の了承を得るべきである。もしそれができれば、何も野党と協議する必要はない。国民が了承している案は、もっとも強力なものだといえよう。

とても国民の了解など得ることができないので野党と協議して国会を通過させようというのであれば、それは国民を欺くものである。菅総理はそこまで手の混んだ思考のうえで、自民党に提案したとは思えない。単にパフォーマンスに毛が生えたぐらいの感覚で自民党に働きかけたのだと思う。これは政治の王道ではないのではないか、はっきりいえば邪道だと、私は思う。

ところで、日本の社会保障を構築するさい、もっとも重視しなければならないのは、社会保障をどのレベルまで行なうかということであろう。これは別のいい方をすれば「大きい政府」か「小さい政府か」ということにもなるが、さらにいい方を変えれば「何を保障するのか」ということにもなる。保障というのは“なんでもタダ”というものから9割以上自己負担というところまであるといってもいい。

何を保障するのかというのは、逆にいうと「何を保障しないか」ということの裏返しでもある。これについてはいろいろの考え方があるが、そもそも社会保障というのは、重病になって働けなくなるとか、収入がまったくなくなるといったような“非常時”に手を差し伸べるというものである。

従って、重病のときにこそ、十分に保障されるべきで、そのことによって、軽医療の患者(かぜひき、腹痛、切り傷、二日酔い等)といったものは自己負担にしてもいいと私は思う。医師の中には、軽医療のときに簡単にかかれて負担がない制度にしておかないと重症になってから医師のところへ行く患者がふえるという意見がある。これは、もちろん、一理ある意見で、財政が豊かであれば当然、軽医療も保障すればいいと思うが、切迫した予算のときには、重病にウエイトを置くのは当然ではないか。私がいつも問題だと思うのは、イギリスやドイツの場合、60歳をすぎた人の人工透析は健康保険の適用を受けない(つまり自己負担になる)というのはどう考えればいいのか、よくわからないことだ。たしかに人工透析料は安くはない。しかし、近年は糖尿病による人工透析患者はふえて、その医療費は、日本では年間1兆2,000億円にもなっている。

こういったことをすべて、どのようにすればいいかを民主党も腰を落ちつけて考えてみたらどうだろうか。そのさい、医療の無駄というものをどのように考えるかも十分に検討すべきである。日本では「アクセスがいい」といわれており、いきなり大病院や大学病院の外来に行く人が多いが、これは在り方として正しいのか。「総合医」といわれる人たちのもっと活躍するのを期待すべきだし、そうなれば医療費もぐんと下がる。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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