こくほ随想

フォーカス・医療(1)
曲がり角の日本医師会

4月1日に行なわれた日本医師会長選挙で茨城県医師会長の原中勝征氏(69)が初当選した。この日医会長選の結果と、2月に決定した「診療所の再診料引き下げ」によって、半世紀前から日本医師会長に4分の1世紀君臨し、医療界を牛耳っていた武見太郎氏の影響力が完全に影をひそめ、いい悪いは別として新しい時代に入ったといえるだろう。

「武見日医会長時代には、世間では「医師会・自民党・厚生省のトライアングルで医療は行なわれていた」といわれるが、実際はそうではなかった。指令塔は日本医師会で、命令は100パーセント武見太郎が発していた。自民党も厚生省も萎縮していて、武見の全盛時代には、厚生省で案をつくったら、まずそれを持って武見のところに行く。武見は赤鉛筆で「これは駄目、これはいい」と印をつける。武見が○(マル)をつけた項目だけで案をつくって、それを審議会に提案する。当然のこととして日医を代表する委員は賛成する。こうして審議会を通った案を自民党に持っていく。もとより自民党には根回しもしてあるし「武見がOKの案だ」といえば、そのまま通り、国会で可決されて法律になる。こういう“からくり”になっているのだ」といって、得々と私に説明した局長もいた。

これぐらい武見の力は凄かったといってもいい。中医協もほぼ医師会の主張が通ったし、医師を代表する委員はすべて日医の推薦だった。武見時代には、中医協委員に病院代表がいたのは、昭和30年代のごく初期だけで、医療費の配分はいつも開業医に有利になるよう決められ、それが“当然”のようにまかり通っていた。再診料が今回(4月1日から実施)から、開業医も病院も同額になったのは、はじめてのことである。


原中氏が会長に当選したというのは、この三者のトライアングルが完全に崩壊したということになるのは事実だが、多くの人は医師会の軸足が自民党から民主党に移ったという面だけでしか見ていない。恐らく多くの医師会員もそのようにしか見ていないだろう。しかし、今回の会長選挙の意味するところは、そんなに簡単なものではない。

武見太郎が4分の1世紀にもわたって会長を勤めることができたのは、武見自身の能力が高かったということはもちろんあっただろうが、無視できないのは、高度経済成長の最中で、医療費の財源には、ほとんど困らなかったという「天佑」のようなものもあった。卒直にいって、医師会員が満足できるのに近い医療費を確保することは容易にできた。しかし、現在はちがう。財源は消費税以外にはないが、民主党は4年間は消費税を上げないと国民に約束している。

「日本医師会員の3分の1は“欲張り村の村長”だ」とよく武見がいっていた。それは、いまでも間違ってはいないだろう。民主党に近づこうという動機が、自分たちの医療費増が目的であるのなら、それは正しいとはいえない。たしかに、日本の医療費は少ない。GDP対比でいうと、先進国中最下位である。GDPは世界第2位(現在は3位になりそう)なのに、こんなに少ない医療費で、それをさらにカットしたために、医療の崩壊が起きはじめているのは周知のとおりである。

いま、医師会員が真剣に考えねばならないのは、「日本の医療を担う一員として、何をすることができるか」である。もちろん、自分たちの労働条件の向上も必要だけれども、医師というのはプロフェッショナルな職業である。自分たちが研鑽(さん)を積んで、どう社会に役立つかを考えるべきで、政治活動をして賃上げを要求する労働組合とは一味も二味もちがうはずである。

 ただ、医師も待遇改善を主張するのは悪いことではない。そのためには医師会と政治連盟を分離し、会長以下役員を重複すべきではない。その改革が必要である。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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