こくほ随想

低栄養進行リスクを解決する公共財

前回、90年近く前に食育基本法や地域保健、職域連携などの考え方を先取りした佐伯博士の業績を概観しましたが、黎明期における栄養士の活動・就業領域も重要です。

当初の栄養士は官公庁、学校、病院、工場などでの活動のほか、農村の栄養改善や凶作時の栄養対策、給食による食事改善などを担い、発育向上や罹患率低下、食費削減を推進しながら住民の保健を基盤とする経済・社会活動に多大な成果を上げています。特に大正期から第二次大戦前後の社会背景には、低栄養及び食生活との相関が高い発症(脚気、結核など)が多く、栄養士の職能は無論のこと彼ら自身のレーゾン・デートルが、そのまま当時の健康問題解決のミッションたり得たのは間違いないでしょう。

ちなみに敗戦後の食料不足と低栄養改善を決定づけたのは米国資金による「キッチンカーの全国展開(調理設備付き車輌による料理講習)」ですが、実務は栄養士と「食改さん〈現在のヘルスメイト〉」でした。米国の条件は「献立に最低一品は小麦と大豆使用」だけで、あとは栄養士の創意工夫次第。当時の栄養士の原動力は、低栄養問題を解決するのは自分達だという矜恃だったに違いありません。

が、戦後60年を経た現在、先人のミッションが正確に伝承されているでしょうか。

日本人のエネルギー摂取推移

上の表で明白ですが、直近データでは日本人一人一日当りのエネルギー摂取量は1867キロカロリーにまで低下。敗戦直後の劣悪な水準以下ですし、脂肪摂取量も最近15年で10%以上低下しています。70年代をピークにエネルギー摂取は低下傾向を続け、特に20代女性のエネルギー不足は危機的で、国が定めた食事摂取基準を15%も下回る事態です。

周知のごとく国民栄養調査は1946年、日本人の飢餓状態脱却の意図から、GHQ指令で開始。が、その当時の水準以下になっている現状に対し、Public Health Nutritionist(栄養士)側からの警鐘と対案がほとんど見られないのは残念なことです。また、健康問題の専門家の多くは、今も「日本人の飽食、食の欧米化」を喧伝しますが、多少なりとも疫学や地理病理学の視点や歴史的経緯を踏まえれば、かかる誤謬(ごびゅう)は発生しないはずです。

例えば、前世紀初めまで、平均寿命50歳を超える国は存在しません。が、食肉摂取量の多い国順に次々と50歳ラインを突破している事実を、私達は今一度見直す必要があるでしょう。食肉摂取の増加はアミノ酸スコアの高い蛋白質、脂肪、エネルギーなどの充足を意味し、平均寿命延伸との相関はいくつものコホート研究で立証されています。

となれば、喫緊課題たる低栄養リスク進行の歯止めには、食と健康科学、長寿健康科学としてのジェロントロジー、社会疫学などを総動員する学際的手法=連立方程式による政策科学が不可欠なはずです。以上の文脈からも、再三紹介してきた熊本県湯前町の試み(総務省ユビキタス事業交付金/最適レシピ検索システムなど)が完成間近なのは期待できます。生活習慣問診票による健康度判定、それに基く最適保健レシピ検索機能などを備えたシステムは自治体や健保組合、企業の保健指導ツール・販促などに偉力を発揮、食材・食品販売の付加価値戦略でも決定打となるでしょう。

本格運用時期は未定ですが、人口五千人に満たない「小さな町の大きな取組み」は注目に値します。本格運用後は『保健指導ツールの公共財として、さらなるアップグレードに尽力(システム総合監修者/日本応用老年学会理事長、柴田 博医学博士)』という発言もあり、産学公民の果実は、低栄養問題と貧困問題解決の福音となりそうです。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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