こくほ随想

社会政策-誘導と参加

政策、特に社会政策は、社会がその政策の価値や意義を認め、「民主主義システム」に基づく承認を与えたうえで、その「政策目的の実現」のために「社会の構成員」の参加が必要となる。すなわち第一に法律や予算の「承認」、第二に創設された制度への「参加」の二つが政策の有効性の基本となる。

勿論、その社会政策が、問題の解決策として的確でない場合、政策が遂行されても問題の解決に繋がらない場合があるが、ここではこの問題を一応、置いておくこととし、昨年、発生した二つの政策論議について考えてみたい。すなわち、第一に「後期高齢者医療制度」、第二に「定額給付金」である。

第一の「後期高齢者医療制度」の政策目的は極めて明瞭であり、国民健康保険制度の保険者である市町村の国民健康保険の財政安定化に尽きる。すなわち後期高齢者(そのほとんどは年金だけで生活する者)に対する医療費が、特にその人口の増加により急速に増大する一方、その負担を国民健康保険制度の加入者で支え切れないことに起因する。

この場合、採用可能な社会政策は一つしかない。後期高齢者だけで医療費の自給自足が困難である以上、支える裾野を例えば全国民に拡大するしかない。その場合、後期高齢者に着目して新しい制度を構築するか、国民年金を基礎年金に発展させたような制度改革をするかのいずれかであるが、医療保険制度の現在の体系が「サラリーマンの健康保険制度」と「自営業者などの国民健康保険制度」の間で、給付水準(すなわち医療保険で対応する医療サービス水準)に格差を設けていない以上、後者の政策はあり得ない。これが政府が後期高齢者医療制度の創設を選択した理由であろう。

しかしながら制度の「成立」後、政策を実施に移そうとしたとき、参加するはずの「後期高齢者」から想定外の反発に直面してしまう。不利益を被る「サラリーマン」集団からの反発については想定内のものとして、制度による政策「強制」で乗り切れるが、金銭的に有利になると思われる一般の「後期高齢者」、当事者からの反発にあっては、政策「誘導」が効かないこととなってしまう。これが後期高齢者問題の本質であろう。

第二の「定額給付金」についても同様なことが言える。この政策の是非については、今後の国会審議に委ねるべきことであるが、この社会政策が「低所得者の生活支援」と「消費拡大による経済効果」という二つの目的に役立つためには、二兆円とも言われる給付費総額の大部分が消費に用いられること、すなわち消費を刺激するという政策「誘導」に受益者が参加することが必要となる。果たしてこれらが可能であるかが議論のポイントであろう。

これまでの社会政策は、受益者が概ね「参加」することを前提として政策効果を論じ、一方において負担者に対する「強制」の是非について、多くの議論が費やされてきた。簡単に言えば、「お金を貰う人は喜び、お金を負担する人は嫌がる」ということを前提に社会政策が形成されてきたわけである。

しかしながら、先の二つの社会政策論では、前提が崩れ始めているように思う。「説明が稚拙だから」という識者もおられるが、必ずしもそうではなく、国民の中に社会政策の前提、すなわち「お金を貰う人は喜び、お金を負担する人は嫌がる」という考え方に対する嫌悪が生じ始めているのではないだろうか。そしてこれは決して悪いことではなく、民主主義の成熟という観点からはむしろ好ましいことなのではあるまいか。

社会政策は国家の重要なマクロ政策であるが、その基盤は一人一人の国民に支えられていること、一人一人の国民も「個人の損得」だけで参加の是非を決めるものではないことを政策当局者はもとより、政治家もジャーナリズムも学者も認識すべき時代なのではなかろうか。

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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