こくほ随想

現金給付とサービス給付

社会保障の「給付」に用いられる社会的費用を「社会保障給付費」という。この「社会保障給付」費は、社会保障に投入される「保険料」と「税金」の総額としての側面も有することから、先日の「社会保障国民会議・中間報告」に関する報道のように「そのための財源を確保するため、今後、消費税率引き上げなど、財源論議が活発化することが予想される」(読売新聞・6月20日)と「社会保障給付」論が、直ちに「財源論」に移行してしまうことが少なくない。

社会保障がその費用の多くを「社会的費用」に依る以上、このような論議の展開は決して間違ったものではない。しかしながら、前回の「パーティーと仲間」で述べたように、そもそも「パーティー」を開催しなければ費用は発生せず、「パーティーの持ち方」で費用の大小が決まる以上、どのような「パーティー」をどの程度の水準で行うかこそが、議論の基盤であることは言うまでもない。

その意味で、社会保障論は、第一に「何のためにどの位の社会保障を確保(購入)するか」、第二に「そのためにどの位の費用を保険料や税金で確保するか」という順で議論を行う必要がある。

第一に「社会保障給付」という「社会保障会計における支出」の議論、第二に「社会保障負担」という「社会保障会計における収入(財源)」の議論である。国民から考えれば、「何を買うのか」そして「その費用はいくらなのか」ということである。

先の「社会保障国民会議・中間報告」は、この「何を買うのか」ということについて、「必要なサービスを保障し、国民の安心と安全を確保するための『社会保障の機能強化』に重点を置いた改革」(要旨)を主張する。これは近年の政府関係の報告としては二つの意味で画期的である。第一に「機能強化」という言葉から理解できるように「今よりも多くのものを買う必要がある」ということを主張している点において、第二に「必要なサービスを保障」という言葉からも理解できるように「社会保障の中のサービス給付」に重点を置くべきであると主張している点において。

社会保障の給付の形態には「現金給付」と「サービス給付」がある。現金給付は「社会保障会計」から現金で支出され、国民(受給者)も「現金」の形で受け取る給付であり、年金、生活扶助、各種手当てなどが「現金給付」に該当する。「サービス給付」は、「社会保障会計」からは現金で支出されるが、国民(利用者)は「サービス」の形で受け取る給付であり、医療サービス給付、介護サービス給付、障害者福祉サービス給付などが「サービス給付」に該当する。国民が受け取る形が「現金」か「サービス」かという分類である。

戦後、社会保障論は「現金給付」を中心に展開されてきた。これは我が国に限らず先進国共通の現象であり、むしろ理念であったといえよう。「揺り籠から墓場まで」という社会保障論も、その中心は「現金給付論」であったといっても過言ではない。しかしながら一定の豊かさを達成した社会においては、むしろ医療・介護・福祉サービスという「サービス給付」が生活と生命を支えるものとして必要不可欠になる。私が「サービス給付の再発見」を主張する所以である。

先の国民会議中間報告に関する「報道」においても、その冒頭に「国民生活に必要なサービスを保障する『機能強化』を新たに打ち出した」とされており、この報告の価値は十分に理解されているように思われるが、国民への伝わり方が「財源論」に偏ってしまうことを「国民の・国民による・国民のための・社会保障改革論」のために惜しむ。

同じ国や同じ県・市町村に暮らす仲間に対して、どのような「サービス給付」が必要なのか、それは私たちの「安心や安全」とどのような繋がりを持っているのか、そしてそのための負担はどうあるべきなのか、という議論を-この順に-丁寧に行いたいものである。

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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