こくほ随想

「将来の福祉人材」

 福祉分野の主な担い手といえば、人の相談にのるソーシャルワーカーと介護や食事介助をするケアワーカーに大別される。わが国で福祉分野の国家資格ができたのは、1987年の「社会福祉士および介護福祉士法」による。それまで福祉事務所の生活保護担当のケースワーカーや老人施設の寮母さんたちを、保健師や看護師のように国家試験を経て一定の質の保証されたものにした。法律成立の背景には社会的入院による医療費の増大、核家族化や女性の就労で家族介護力の減少があり、国は高齢化社会に対応するため、大量の福祉人材の確保、特に介護の人材養成のシステム化が急務であった。
  貧困や老人介助という暗いイメージが付きまといがちだった福祉に新たな国家資格の登場は世間の注目を集めた。子育てが一段落して社会参加のきっかけを模索していた筆者も、新たな国家資格に希望を託した一人だった。「人を大事にする福祉の仕事をしたい」と福祉系大学に入りなおし、20歳年下の学生とゼロから学んだ。それまで無知だった社会福祉協議会や共同募金の意義、社会保険の仕組みを初めて知った。
 救護施設や高齢者施設での3ヶ月の実習の後、第2回の国家試験を経て625人目の社会福祉士となり、人材養成に転じて今に至っている。当時、1、000人ほどの社会福祉士は2006年には8万人、介護福祉士は55万人に昇っている。養成施設も大学や専門学校を入れると200校と当時の10倍以上になった。
 人生を変えるきっかけとなった資格と法律であるが、一般の人にはあまり馴染みがない。特に社会福祉士は公務員の児童相談所の児童福祉司から病院の医療相談(MSW)まで職場も職種も多様でつかみにくい。ここ10年、在宅介護に貢献した在宅介護支援センター、新しい地域包括支援センターに配置されるソーシャルワーカーは、社会福祉士がほとんどで多少世間に知られるようになった。
 昨年からこの「社会福祉士及び介護福祉士法」の改正案が検討されており、4月に再度参議院で審議される。この改正の主眼は、近年の介護ニーズの多様化や高度化に対応する介護福祉士のレベルアップを図ることで、具体的には国家試験を受けずに資格が付与される養成学校のルートをなくして全員試験受験にすることである。
 先に外務省がフィリッピンと締結した経済連携協定には「滞在4年間のうちに介護福祉士を取れない場合は帰国する」の条件があり、その時点では2年の養成校卒での国家資格取得を想定していた。全員受験が必要となって養成校ルートが閉ざされると、現在の合格率約50%の13科目の国家試験は外国人には日本語がカベとなり合格は不可能で、国際問題にもなりかねない。
 そこで改正案では養成校ルートは准介護福祉士として残すとしたが、多くの介護福祉士も養成校たちも反対した。しかし、職能団体介護福祉士会は廃案になるより早期成立を優先し、准介護福祉士はしばらく黙認する方向を選んだ。その心は介護職全体の地位向上を早く実現し、2年後の介護保険の介護報酬改定で介護職の待遇改善につなげるためである。
 現在景気の回復で若い看護師や介護職の転職が急増し、現場は必要数を確保するのに大変な状況だ。これは若い労働力の減少、つまり少子化も大いに関係しているが、日本の若い資格取得者も当てにできないと、施設は外国人介護者への期待を強めている。
 今後の見通しはアジア諸国の労働状況にも絡んでいるが、日本も欧米先進国のように施設介護者の大半が外国人になるのだろうか。2月に訪れたスウェーデンの公立ナーシングホームの介護者もほとんどアフリカンとヒスパニックの女性であった。施設介護の国際化への可能性もいよいよ現実的なものになってくる。

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