こくほ随想

「人口減少社会の実感」

2005年3月14日、総務省から昨年10月1日現在の地域別人口動向が発表された。それによると、全国47都道府県のうち35道府県で人口が減少したという。その内訳は、出生者数から死亡者数を引いた「自然増減」と、転入者から転出者を引いた「社会増減」がともにマイナスなのが24道県、「自然増減」はプラスだったが「社会増減」がマイナスだったためトータルでマイナスとなったのが11府県とのことである(3月15日付朝日新聞)。

 

こういう報道を見ると、少子化の結果としての人口減少社会がいよいよ到来したことを実感する。我々はこれまで、毎年人口が増えていく社会で生活しており、人口減少社会がどんな社会なのかを経験したことがない。働き手が減って経済成長にマイナスの影響が出るとか、高齢者が増えるため社会保障の負担が増大する、といったことは以前から指摘されているが、我々の日常生活がどう変わっていくのかについてはまったく実感がわかない。

 

ちなみに、筆者の勤務先は社会人大学院なので、既婚の学生に少子化問題についてどう思うかと聞くと、多くの者は、何らかの対策が必要だ、と答える。それに続けて、それでは、あなたは子どもをもう一人多く作りますか、と聞くと、これまた多くの者が、いやそうは言っても、子どもを作ると何かと大変なので…と言って言葉を濁す。実は、ここに少子化問題の特徴がある。

 

病気やケガ、老いといった社会生活上のリスクに対する備えとして社会保障制度がある。病気になれば医療保険から保険給付が行われ、ケガをして障害状態になれば年金制度から障害年金が支給される。また、65歳になれば、老齢年金を受給できる。このように、社会保障制度は、国民が困った場合に必要な給付を行うことを目的としているのだが、少子化問題の場合には、一人一人の国民は困っていないのである。自ら進んで病気やケガになる人はいないであろうし(仮にいたとしても、そういう場合には社会保障給付は行われない)、まして個人の意思で他人より早く老いることは誰にもできない。これとは反対に、少子化問題の原因となっている出生率の低下という現象は、一人一人が子どもを作らない、という選択をした結果が積み重なったものなのだ。

 

だから、少子化対策は必要だと考えていても、自分が子どもを作るという行動にはつながらないのである。このように、少子化問題は、経済や社会保障負担など社会全体としては困るのだが、そこで生活している個々人は(現在のところ)あまり困っていない問題なのである。

 

もちろん、社会が困る以上、政府としても対策を講じている。保育所を整備したり、育児休業制度を充実させ、男も育児休業が取れるような環境整備をしたり、児童手当の対象年齢を引き上げたりと、矢継ぎ早に対策を打ち出している。しかし、これで出生率が上昇するかどうかはわからないし、この程度の施策では、大した効果は期待できない、と言う学者もいる。

 

政府の少子化対策にどの程度の効果が期待できるかどうかは別にして、確実に言えるのは、このままでは、2006年つまり来年をピークにして、日本の人口は毎年減っていくということである。

 

全国の町や村で年々過疎化が進んで住民が減り、隣近所の家が廃屋になっていく。郊外の団地でも、高齢者の姿ばかりが目立ち、子どもの笑い声などめったに聞こえなくなる。団地の所々に空室が目立ち、夜になると人通りが少なくなって、うっかり外も歩けない。そういう社会になってはじめて、人々は人口減少社会がどんな社会なのかを実感する。そして、人口減少を防ぐには、自分たちが子どもを一人でも多く作らなければならないのだということを真剣に考えるようになるのではなかろうか。

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